序章
 肉体を脱ぎ捨てた後、気がつけば「ここ」にいた。
 「ここ」は、海のようであり、母の懐のようでもある。私達を取り巻くすべてが愛に満たされ、濃厚なまでの情感が、細かな粒子となってあたり一面を満たしていた。

 ――ええ、そう。……そうだったわ。

 生まれた時からずっと、私達はこんなにも愛されていたのに。
 繊細なまでに柔らかい愛は、アスファルトに包まれた大地や四角く象られたビルの中では気づけない。排気ガスやスモッグに覆われた世界にも、愛は至る所に存在しているけれど、それなのに私達は生きている間はそれに気づくことが出来ない。表層的な生を彷徨い、口約束だけを信じて、その確証を求め続ける。すべては、幻想に過ぎないというのに……。

 そう感じている私は、今は「魂だけの存在」。
 「存在としてだけ」、私を包み込む愛と一体化している。
 ここは、すべての魂が救われ、傷を癒し、そして育まれる場所。
 だけど、ここにたどり着けない者達もいる。
 自ら心を閉ざし、孤独に追いやられし哀しい者達――。

 私は、もう永いこと「彼」を探している。

 「彼」は、ここに来ていない。
 だから、肉体を脱ぎ捨てた後も、「彼」と会うことが出来ない。
 愛情深く、傷つきやすかった「彼」は、今頃どこを彷徨っているのだろう。

 だけど、私にはわかる。
 彼も、私を探している。

 何故なら――。

 世界が、混沌とした闇に包まれたから。
 優しかった自然が傷つき、力尽きようとしているから。
 生命のすべてが藻掻き苦しみ、不安という名の闇を排出しているから。
 その闇の中に、彼がいるのは「間違いない」。
 とても哀しいことだけど──彼は「深く愛し過ぎたが故に、その愛の向こう側にある闇の世界へ」と、墜ちてしまったから。

 彼は今、「消えかかっている」。
 自から産みだした闇の中で、滅びようとしている。

 彼を助けなければ――。

 怒りと、憎しみと、絶望が
 「彼の魂」をも、呑み込んでしまう前に……。
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