第4章 片目猫セレブレイト
 道を歩いていると、ベランダでは感じられなかった程の強い風が吹き荒れていた。街路樹は風に合わせて大きく揺れ、ザワザワと木の葉が唄う。
 ソラは、ふと足を止めた。
 昨日、黒い影に襲われたのは確かこのあたりだった。今は明るいせいか影などどこにもないが、おそらく夢のように思えた出来事はここで起きたに違いない。何か不思議な力が働いて、ソラはこの「人間がいない箱庭のような世界」に迷い込んでしまったのだ。
 建ち並ぶビルの群や、風に靡く街路樹の葉を見つめて、ソラは何とも言えない気持ちになった。道を囲うように並ぶ建物も、植えられた樹も、すべては人間達が作ったものだ。それなのに、その主人たる人間はどこにもいない。そのことが何やら矛盾しているようにさえ、ソラには思えた。
 ヤギの郵便局員が言うように、ソラには人間が敵だなんてまったく思えない。確かに、人間はソラの知らないところで数多くの酷いことをしているようだ。自然破壊や、動物の乱獲など、我が物顔で振る舞っているのは事実のようだ。パパがソラに向かって、何度もそういう話をしてくれたっけ。そのたびにパパは「人間が生態系を狂わせ、自然を傷つけてしまった」と、険しい表情で語っていた。
 パパのように自然や動物達との暮らしを守ろうとしている人がいる以上、人間が敵であることなんてないと、ソラには思えた。きっと、ヤギを始めとする動物達は、みんな誤解をしているんだ。自分が行って、その誤解を解かなければ――ソラはそんな正義感に突き動かされるようにして、神様選挙説明会の会場を目指した。

 どのぐらい歩いただろうか。
 空は相変わらず白く、風も変わらずに吹き荒んでいる。
 廻りの景色は、気が付けばソラが見たこともないような風景に変わっていた。どうやら、今まで散歩で一度も来たことがないところにまで足を運んでしまったようだ。
 あまりに長いこと歩いていたせいか、喉が渇いてきた。水飲み場を探して辺りを見回すと、公園があることに気がついた。子供達用の遊具が置かれた公園の中央には、綺麗な噴水がある。ちゃぽちゃぽと音を出しながら湧く水は透きとおっていて、とても冷たそうに見えた。
 ソラは小走りで噴水前に向かうと、水の中を覗き込んだ。水の波紋と同時に、映るソラの姿がゆらゆらと揺らいでいる。舌をつけ、チャプチャプと音をさせながら水を飲むと、ひやりとした感触が心地よく喉を湿らせた。……と、その時。

「――おい、ガキ」

 低く聞こえた声に、ソラは慌てて顔をあげた。
 振り返ると、そこには体格のいい野良猫が二匹、二本足で立っていた。見るからにガラの悪い猫達は腕を組み、「ヒヒヒ……」と下品な笑いを浮かべた。
 ソラは何とも複雑な表情をした。ヤギ以外の動物に出会えて、本来なら飛び上がりたくなるほど嬉しいはずなのに、目の前にいる猫達の雰囲気を見てそんな気にはさらさらなれなかったからだ。

「おい、クソガキ。てめぇだよ、てめぇ」

 ソラがしばらく反応しなかったせいか、再度猫が呼びかけてきた。
「誰に断って、そこの水飲んでンだ。ここは俺達の縄張りだぞ。勝手によそ者が入って来て、図々しくも俺様の水飲んでンじゃねぇよ」
 ソラは猫の言い分に首を傾げた。
 大体、縄張りについてはよく知っている。マーキングは、ソラだって何度もしたことがあった。しかし、噴水を縄張りにするなんて、聞いたことがない。
「ここは『公園』だよ。公園は『みんなの場所』なんだって、パパがいつも言ってたよ」
「生意気言ってンじゃねぇぞ、ワレェ!」
 猫が怒鳴りつけた。
「この公園はナァ、俺達『野良猫』の集会場なんだ。それを、犬の分際で平気な面して彷徨きやがって! 今度顔見たら、タダじゃすまねぇぞ!」
 威嚇され、ソラはすっかり縮こまってしまった。こんなに野蛮な猫を相手にしたこともなければ、喧嘩なども経験したことがない。間違っていることは「間違っている」と──正しいことは「正しい」とソラは貫きたかったが、生まれて3カ月しか経ってないソラにはそれをする方法も分からなかった。
 だからここでは、どんなに自分の言い分が正しいと思っていても、すごすごと退散するしかなかった。耳も尻尾も垂らした状態で、トボトボと歩き出した――その時だ。


「――待て」


 低い声がした。
 振り返ると、そこにはとても美しい黒猫が立っていた。
 毛並みはつややかで長い尻尾はくねりと優雅に動き、宝石のように大きな目が印象的だ。目の前に立つ野良猫達が霞んでしまう程の、輝きと高貴さを感じる。
 しかし、一体どうした事情なのだろうか──その猫の左目は、大きな傷によって塞がれていた……。まるで鋭い刃物でザックリと切られたような傷だった。
 黒猫が現れた瞬間、野良猫達は急激に狼狽えた。ガクガクと震えながら、低く呻く。


「……セ……セレブレイト……様っ!」


 ソラはしばらくポカンと口を開けたまま、野良猫達を見つめていた。ややもして、セレブレイトと呼ばれた猫に視線を向ける。黒猫は自分より体格のいい猫を二匹前にしたところで、微塵もたじろぐ様子がなかった。
「――貴様ら、ずいぶんと格があがったもんだな。ここに来たばかりの頃は、右も左もわからない臆病猫だったくせして。この公園が貴様らの縄張りだったとは、この俺でさえ知らなかったぜ」

 威圧感のある猫だ。野良猫達はすっかり怯え、互いに身を寄せ合っている。
「ところで、この公園を薄気味悪い猛霊達から守ってやってるのは、どこの誰だ?」
 セレブレイトの口から出た「猛霊(もうりょう)」という言葉に、ソラはぴくりと反応した。

 猛霊――。
 どこかで、聞いた気がする……。

「そ……そりゃぁ、セ……セレブレイト様が、守ってくれているおかげでして――」
「だったら、ここでてめぇらが威張り散らす権利はない。──そうだよな?」
 確認するかのように問いかける。もはや二匹の猫はたじたじだ。冷や汗を流しながら「へ、へぇ……」と小さく頷いた。

「分かってるんだったら、とっとと失せろ!」

 凄い迫力だった。大きな目に力を入れて睨み据えた瞬間、野良猫達はお尻に火でもついたかのように一目散に逃げ出した。
 ソラはしばらく呆然としたまま、セレブレイトを見つめていた。セレブレイトも一瞬だけソラに視線を投げたが、すぐに「フン……」と鼻を鳴らすと踵を返す──。


「ま……待って!」


 セレブレイトが足を止めた。
「た……助けてくれて、ありがとうございます!」
「――別に助けたつもりはない」
 振り返ることなく低く言い放つと、セレブレイトはそのままその場を立ち去ろうとした。
 ソラは必死に思考を廻らせた。先程の野良猫達は論外だったが、今ここにきて初めて、まともな動物と出会えた気がする。それ以上に、セレブレイトから感じる「雄の貫禄」に、ソラはすっかりひと目惚れしてしまった。何とかして仲良くなりたい――そう思ったソラは、必死に話題を探した。

「あ……あの、今から『神様選挙説明会』に行くんですか?」
「――だったら何だ」
「ぼ……僕も行く途中なんです! よかったら、ご一緒しませんか?」

 その時初めて、セレブレイトはソラに向き直った。真正面から、ソラの全身を見つめる。
 真っ白な毛に包まれ、ビー玉のような黒い目を瞬きさせている小さな子犬。無邪気で、世の中のすべてが善であると信じているかのような笑顔に、セレブレイトは侮蔑するような笑みを浮かべた。

「――貴様、『まだ生きてる』な」
「え?」
「生身の肉体を持ってこの世界に来るなんて、珍しいな。何かしら理由あってのことだろうが――まぁ、いい。俺の知ったことじゃない」
 そう言って、再びセレブレイトは背を向けた。
「セ……セレブレイトさんは、生きてないの?」
「そういう言い方は語弊があるな。『お前がいた人間界には、存在しない』と言った方がいい。まぁ、とどのつまり死んでることになるか」
 そう言って、自嘲するように笑う。
「ここにいる動物達、みんな?」
「みんなとは言わない。お前のように肉体のままここに来る奴も、チラホラいる」
 そう言って、再び歩き出した。ポカンとしたままのソラに、振り返ることなく声をかける。

「――どうした。一緒に来るんじゃなかったのか」

 意外な言葉に、ソラは驚きすぎて飛び跳ねてしまった。
「え? い……一緒に行ってもいいの?」
「別に断る理由もない。来ないなら、おいて行くぞ」
 ソラは慌てて走り出すと、セレブレイトの後を追った。

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