第15章 シャーマンの谷
 深海砂漠を旅しはじめたソラ達は、無味乾燥とした風景の中、道なき道をあてどもなく歩き続けた。
 広がるのは白い砂の大地ばかりで、時折吹く風が柔らかい砂をサラリと靡かせるだけだ。砂漠を生きる生物はおろか、植物でさえ一本も生えていない大地に、ソラ達は幾分不安を感じ始めていた。見上げてみても星はなく、ただ紺碧の闇だけが辺りを包んでいるのだから。

「……ね、ねぇ。本当に、こっちの方角で大丈夫なのかい?」

 さすがのクックも、不安を押し隠せなかった。
 しかし、先頭を歩くセレブレイトは気に止める様子もなく、撫でやかな背中を揺らしているだけだ。

「大丈夫だ。間違いない」
「何で、そんなに確信持って言えるのさ」
 ピピンが息絶え絶えに言う。
 セレブレイトは僅かに足を止めると、視線だけを背後に向けた。

「――すでに『知っているから』さ」

 そう言うと、再び前方に向き直った。
 後方に立つ四匹は大きな目をパチクリさせ、一斉に顔を見合わせた。

「『知ってる』って、どういうこと?」
「――見ろ」

 そう言って、右前方を指し示した。その先に、煙がまっすぐ天空に向かって伸びているのが見えた。
「あれは、何?」
「狼煙(のろし)だ。あそこに、『シャーマンの谷』がある」
「シャーマン?」
「シャーマンは、この砂漠の案内人だ。ここのすべてを知っている。だから、幻に呑み込まれることもない」
「案内人ってことは――『神様がどこにいるかも、わかってる』ってこと?」
 弾んだ声をあげるピピンに、セレブレイトは首を横に振った。
「それはわからない。シャーマンに会って直接聞いてみなければ、な」

 ソラ達は、目印のように立ち昇る煙を目指して、ひたすら歩いた。
 しばらくすると、変わり映えのない景色は途切れ、谷らしきものが見えてきた。僅か窪んだ大地の裂け目に、シャーマンの暮らすテントが見える。
「あそこだ」
 セレブレイトが告げる。
 案内されるようにして、ソラ達はセレブレイトの後をついていった。

 しかし……。
 何か──、
 何かは分からないが……ソラには「踏ん切りがつかないもの」が過ぎった。
 何だろう……。
 何だか、モヤモヤとする……。

 迷いを払いたくて、ソラはその場で足を止めた。
「セレブレイトさん」
「何だ」
「セレブレイトさんは、以前ここに来たことがあるの? さっきも『知ってる』って、そう言ったけど――」
 ソラの何気ない問いに、何故かセレブレイトは答えなかった。しばらく考え倦ねるように時間をおいた後、こう告げた。

「……『一度だけ』な」
「その時は、何しに来たの?」
「『ある存在を探していた』から、それで来たんだ。……だが、残念なことに見つからなかった。だから、これ以上行かずに引き上げた」
 それだけ言うと、再び背を向け歩き出した。
 その姿が……どことなく淋しそうに、ソラには見えた。

 テントの前に差し掛かった時、中から不思議な出で立ちをした男が出てきた。

「――あれ? 人間だ」

 あろうことか、そこにいたシャーマンは「人間」だった。
 ここは動物だけの――それも恨みを持つ者だけの世界と思っていたのに。人間が迫害されている世界で、まさか人間に会うなどと思っていなかったソラは、とても驚いてしまった。そんなソラを見て、シャーマンはにっこりと微笑んだ。
「そうとも、私は人間だ。だが、お前達と何ら変わらない。私が人間の姿をしているのがそんなに不思議か?」

 穏やかな口調に、ソラは頬を染めて俯いた。
「ご、ごめんなさい。まさか、こんなところで人間に会えると思わなかったから――」
「人間といったって、動物の仲間であることに変わりはない。そして、生物の仲間でもある。人間だけが、生命から切り離された特別な存在というわけではないだろう。それに、この深海砂漠はもともと人間や動物、植物も分け隔てなく暮らしていた場所だ。生命というひとつの輪は、動物だの人間だのを差別するわけじゃない」
 そう言うと、シャーマンはソラ達の脇を通り過ぎようとした。

「私に、何か聞きたいことがあるのだろう?」
「あ、は……はい。これから先、どう進んでいけばいいのか――よくわからなくて」
「道案内をして欲しいのか?」
「は、はい」
「どこへ行く気だ」
「か、神様のところへ」
「ふむ……。『神』ね」

 ぽつぽつと語りながら、シャーマンは焚き火の前に座った。
 ソラ達は互いに顔を見合わせていたが、まるで引き寄せられるようにして焚き火を囲んで腰を下ろす。
 煌々と赤く燃え上がる炎を前にして、シャーマンの顔が紅く照らされた。その顔には皺が刻まれているが、長く伸ばされた髪が真っ黒なところを見ると、まださほどの年齢ではないようだ。顔に白や緑の模様を描き、深緑色をした不思議な瞳で、ただじっと炎を見つめている。やがて、火の上に掌をかざし、まるで火の粉を掻き集めるようにして動かした。

「熱くないの?」
 ソラが尋ねた。
「火は私の友達だ。友達が、私を傷つけるようなことをするはずがない」
「火は火だわ? 友達なんかじゃないわさ」
「火は『エネルギー』だ。そして、私達も同様に『エネルギーが形となった存在』だ。そうである以上、火も私も友達同士だ」

 シャーマンの抽象的な言葉が理解出来ず、アークとピピンは顔を見合わせて首を傾げた。じっとその動作を見つめていたソラだけが、こう語る。
「先日、フクロウの知恵蔵さんが言ってた。宇宙が出来る前、そこにはひとつのエネルギーが存在したって」
「そう。私達は、そのエネルギーの一部分だ。どんなものも、同じエネルギーから生まれている。だから、すべては『私の友達』だ」
「あんた、シャーマンって言う割には科学者みたいなことを言うね」
「シャーマンは、別の視点で見れば科学者だ。科学者とシャーマンの違いは、物質的側面で真理を解こうとするか、霊的側面で真理を解こうとするか、その差でしかない。しかし、両者は同じ『ひとつの真理』をそれぞれの側面から紐解こうとしているのに過ぎない」
「物質世界も、今僕らのいる霊的世界も、もとは『ひとつ』ということ?」
「そうだ。両者はひとつだ。目に見えないものが具現化する為に、質量を持った世界。それが物質世界だ」
「――これまた知恵蔵と似たようなこと言ってるわさ」

 ふと、シャーマンは口元で呪文のようなものを唱え始めた。
 メロディのように流れる言葉に呼応するかのように、煌々と燃え続けていた炎は一気に空高く舞い上がって青白い炎と化した。まるで奇術のようなシャーマンの行為を、ソラ達は唖然としながら見つめている。

 青白い炎は、ひたすら真っ直ぐ天空を登っていった。
 それはまるで龍のように立ち昇ると、ある一点で止まり、半球を描くように広がった。
 すると、どうしたことか。
 闇色のヴェールに、粒状の細かな星々が一斉に浮かび上がったではないか。煌めきながら、青白い炎と共に降り注ぐ。

「きれい――」

 それは、魔法のような光景だった。
 何もない大地の地平線、端から端までを、星空が包みこんでいる。その壮大な景色に、ソラ達は絶句してしまった。

「――はるか昔、この砂漠は美しい草原だった」

 シャーマンが語り始めた。
「ここは、生命(いのち)の休息所だった。故郷を旅立ち、様々な研鑽を遂げる為世界へ向かった魂達が憩う楽園だった。しかし、人間達は己が欲望に目が眩み、自然を切り開き、動物を支配し、心を閉ざしていくうちにこの楽園も失われた」
 シャーマンがそう語っている間。ソラ達の周りに、青白い光が形を成して現れた。それはゆらゆらと揺らめきながら、様々な形――人間や動物、植物に似たあらゆるものの姿へと変化していく。

「これが……幻」

 不思議と怖くはなかった。
 それ以上に、何だか切なかった。
 ここにいる幻達は、美しい世界の残骸なのだ。
 いまだ自分達が消えたことを知らずに、それでも砂漠が蘇ることを信じて、永遠にここを彷徨っている──。

 ふと、ソラはこの幻達に「形」があることに気づいた。天空を過ぎる幻──あれは、鳥の幻影だろうか?
「……そうとも。ここにいるのは、『すべての生命の幻』……。かつて地球上に存在し、生命を奪われ、行き場を失って彷徨っている『かつての生命達』なのだ」
 シャーマンが、まるでソラの疑問を見抜いたかのようにそう答えた。
 ソラは、辺りを見回した。そこには、多くの動物達の気配が感じられた。
 いや……、動物だけじゃない。
 あそこに立つのは……悲しそうに星を仰いでいるのは……あれは、人間の子供ではないだろうか?

「愚かな話だ。人間は、自分たちと同じ種族であり、自分らが生んだ子供達にまで残酷な仕打ちを繰り返したのだ。これまでに、一体どれほど多くの子供の生命が蝕まれ、奪われてきたと思う? 戦争に勝つという目的の背景にあるのは『自分たちが富を得たい』という我欲のみだ。その我欲の犠牲となって、一体どれほどの数の子ども達が残酷に命を奪われたことか……。『あの子』はその悲しみを胸に──今でもこうして、この砂漠で立っているのだ。人間の犯した過ちと、その重さを胸に抱えて──ね」

 シャーマンが見た方に視線を向けると、他にも数名、人間の幻が見えた。みんな、互いに互いのことを理解しているわけではないようだ。しかし、途方もなく深い悲しみ、奪われた生命への憂い──それでいながら、「この過ちに気づいて欲しい」というせつない祈りのような願いを、どこかに感じさせていた。

「私は、この者達に誓った。砂漠が蘇るまで、ここを守り続けると。いつしか人間と自然の間に絆が蘇りし日を信じて、いつまでもここにいよう──と」

 シャーマンはそう言うと、目蓋をあけて星空を見上げた。その瞳はどこか哀しみを漂わせている。
 ソラは、シャーマンが「この宇宙に匹敵する程、永い時間ここにいる」ような、そんな気がした。時間はシャーマンの中で想い出をつくると共に、哀しい傷を風化させることなくここに閉じこめてしまったのかもしれない。シャーマンがここにいるのは、かつて楽園だったこの深海砂漠から離れられない幻達を、代弁する為なのかもしれない──と。

「どうすれば、砂漠は蘇るの?」
「多くの哀しみを癒すこと。そして、愛を取り戻すこと」
「愛を、取り戻す?」

 聞き返したソラの問いに答えることなく、シャーマンは再び呪文を唱えだした。
 すると、地平線の向こうから星が登ってきた。しかし、それは日の出ではない。青くて大きな星は、ゆっくりソラ達の前を通過していく。

「あれは――まさか『地球』!」

 ソラの驚きに、シャーマンは頷いた。
「そうだ。命の宝庫、我らの故郷でもある『地球』だ」
「ま、まさか――地球をこんなふうに見上げるなんて」

 しかし、それ以上に驚かされたのは、地球の美しさだった。
 ソラ達が見上げる中、真っ青な惑星がゆっくり移動していく。青く輝く海に緑の大地が覗き、あそこには何万、何億――いや、数え切れない程の生命が生きているのだ。

「あの星に生きる者達は、数多(あまた)の価値観、数多の意見、数多の信条の中で生きていると信じ込んでいる。しかし、立つ大地はひとつであり、感じる空気もひとつだ。そして何よりも、ひとつの星の上でみな共に生き、ひとつの生命からみなが生まれたのだ。それを忘れ、互いに憎み合い、殺し合う者達みなに、この星の美しさを見せてあげたい――」

 ソラは、胸に熱いものが込み上げた。
 そして、今まで以上に「地球を守りたい」という思いが強まっていた。
 それは、未来達だけの為ではない――この星に生きる、全人類と全生物達の為に。

「どうすれば、この星の為になるんだろう」

 ぽつりと、ソラが呟いた。

「どうすれば、みんなが『ひとつの星の上に生きる家族だ』ということを、思い出すんだろう」

「言葉で、それを伝えることは出来ない」

 シャーマンが答えた。
「この星を守るというのは、理屈ではない。『魂の衝動』だからだ。魂の衝動は、決して言葉で伝えることは出来ない──」
「でもさでもさ」
 ピピンがジャンプして言った。
「こんなに綺麗な星を見たら、みんな誰も殺し合いなんてしたくなくなるわさ!」
 ピピンの言葉に、みな無言で同意した。そう──この光景をみたら、誰もが考えを改めるに違いない、と。

 今こうして見ている間にも、どこかの地域で誰かが争っている。
 今こうして見ている間にも、理不尽な哀しみと死が横たわっている。
 それらを内包し、地球は廻っていく──
 それらを乗せて、地球は動いていく──

 ソラ達がうっとり眺めている間、地球はゆっくり半円を描くようにして、再び地平線の彼方へと沈んでいた。
 気がつけば、闇を包んでいた星空も、どこかへ消えていた。
 今まで通りの闇一色の空と、真っ白な大地だけが広がっている。

 シャーマンが呟いた。
「ここから先、まだまだ危険がつきまとう。それらは、お前達にとって試練とも言うべきものだろう。しかし、その先には想像を絶する喜びが待っている」
「それっていうことは、あたい達、神様に会えるの?」

「会えるかどうかは、私が決めることではない。『お前達が決めること』だ」

 シャーマンは、ピピンの目を見てはっきりと言い切った。ピピンは口をもごもごさせた後、地面に頬杖をついて蹲った。
「それじゃ、意味がないんだわさ」
「でも、それなら僕は決めているよ。僕は、絶対に『神様の元へ行く』。未来ちゃん達を、そして、僕達の星を助けたいんだ」

 決意したように呟いたソラを、シャーマンは見つめた。
 シャーマンの瞳に捉えられたソラは、硬直したように動けなくなってしまった。
 シャーマンの瞳は、まるで奥深い森を思い起こさせる。そこは自然の宝庫で、澄んだ泉や動物達の憩いの場もあるだろう。それは、まるでありし日の深海砂漠のようだ。その美しさに見とれていたソラに向かい、シャーマンが低く語りかける。

「お前は、並々ならぬ力を持っているようだな。お前なら、神の元に行くことも可能だろう」
「でもさ、可能かもしれなくったって、行く道がわからなければ仕方ないわさ」
 ピピンが茶々を入れる。
「神の元に行くことが可能であれば、道は開いたも同じだ。『神の元に行くという強い意志と信念』だけが、お前達を導くのだ」
「な、なんだいそれ。あんた案内人の癖して、神様のところへ行く為の地図やガイドブックなんかは持ってないのかい」

「そんなものはない」
 きっぱり否定した。

「『信じることで、道は出来る』。だが、疑えば瞬く間に闇の中で迷うことになるだろう。この砂漠において必要なのは、強固な信念のみだ。信念だけが、幻に負けることなく道を開く」
「――なるほど。知恵蔵さんが僕を止めた理由が、やっとわかったよ」
 ソラが言った。

「信念を信じて歩いていくことほど、難しいことはない。信念は時に導きの役目を果たし、時に惑わせる元にもなる。だが、お前の瞳の奥には、それらの困難さえも乗り越えられる程の輝きが灯っている。心して行くがよい、小さき命よ。おのが信念を貫き、旅を続けるがいい」
 シャーマンの言葉に、ソラ達は力強く頷いた。

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