第20章 更正施設
 学校を出てから、いったいどれぐらいの時間が経っただろうか──。空はふと気になって、背筋を伸ばして窓の外に目を向けた。
 車は低いエンジン音を響かせながら、猛スピードで林道を駆け抜けていく。外に広がるのは鬱蒼とした杉林で、その先にはどんよりとした闇が広がっていた。
 空は姿勢を戻して後ろにもたれかかると、周囲に座っている大人たちを見つめた。空を挟むようにして座る、二人の男たち。男はサングラスをかけ、黒いスーツをまとっている。表情はずっと変わらないままで、僅かに笑みをこぼそうとさえしなかった。
 運転席と助手席に座る男も、まったく同じ恰好だった。黒い車、黒いスーツ姿の無表情の男たち──人間味を感じさせない男たちに囲まれ、空は不安を感じた。
「ねぇ……、おじさん」
 恐る恐る話しかける。しかし誰ひとり、空の問いかけに反応してはくれなかった。
「僕、今からどこに行くの?」
「『更生施設』だ」
 隣に座っていた男が、無表情のままそう答えた。

 ──更生施設。
 今日、社会の授業でやったばかりだ。色とりどりの地図の中にあった、不自然なほど浮だった灰色の空間。今からそこに、空は連れて行かれるというのだ。
「どうして? ……ねぇ、どうして僕がそこに連れて行かれるの? 僕、何も悪いことしてないよ」
「更生施設は、留置所や少年院とは違う。『社会に存在する意味』を忘れた人間が送られる場所だ。そこで、『本当の自分を、思い出させてもらえる』のだ」
 「本当の自分を、思い出せる」という言葉が、空の中で繰り返し響いた。
 ──本当の自分を思い出せるなら、行く価値はあるのかもしれない……。
 そんな思いが頭によぎった。

 しかし、到着して車から降りたった時、「本当に、そうなのか」と空は疑いを持たずにいられなかった。目の前にそびえたつ灰色の空間は、とてもではないがそんなふうに思えないものだったからだ。
 色彩というものがどれほど大切なものなのか――空はここに来て初めて痛感した。「色がない」ということがどれほど恐ろしいものか、初めて分かった気がする。そのぐらい、この空間には「灰色以外の、何もなかった」のである。
 建物や人だけではない、青く輝いていた空も、ここに到着した途端どんよりとした灰色の空へと変わったのだ。まるで、ここに存在するすべてのものが、灰色にならなくてはいけないかのように。
 大地も灰色のアスファルトで包まれ、建物の壁も灰色に塗られ、目の前に広がる世界すべてが灰色に染められていた。色とりどりの花を咲かせる植物などどこにもなく、柔らかい芝生もない。その上、中を歩く人々の制服もこれもまた「灰色」だった。
「さあ、歩け」
 男に背中を押され、空は恐る恐る歩き出した。

 建物の中央にある重い扉を開いて中に入ると、そこには灰色の作業服を着る男がいた。男はギロリ…と空をにらみ、こう告げる。
「お前の部屋はこの奥だ。早く着替えてこい」
 そういって、空に鍵を差し出した。
 奥にある空の部屋というのは、ベッドさえなくテーブルもない。壁をくり抜いて人一人が寝るスペースが設けられているだけの部屋だった。「まるで蟻の巣のようだ」と、そんなふうに空は思った。
 この施設には食堂以外、みなが集えるような場所はどこにもなかった。部屋の中にも椅子は準備されておらず、一日の労働を集って憩えるような場所さえない。作業が終わった者は、部屋に帰った後「寝る」ことしか出来なかった。

「人が集まって何をするかと言えば、無駄なお喋りだ。その上、お喋りというのはいらぬ不安や不信感を募らせる要因となる厄介なものだ。その為、この施設では私語を厳禁とし、人の集えるスペースを設けなかったのだ」

 そう語る監視員の瞳は、何故か「赤い」。不自然な赤さはまるでルビーのようだと、空は思った。
 建物も景色もすべてが灰色に染められる中、監視員の制服だけが、その中でもひときわ濃い闇色をしていた。闇色の制服に赤い瞳――思えば、ここにいる監視員の瞳すべてが赤い。そのことを疑問に思った空は、施設内を案内する監視員に向かって尋ねてみた。
「ここにいる監視員の人達は、どうしてみんな目が赤いの?」
 空の質問に、監視員はギロリと睨みつける。
「――そういう質問を、『無駄なお喋り』というのだ」
「す……すみません」
 空は慌てて謝った。
 しばらく空を見下ろしていた監視員だが、背を向けると言い放つ。
「我々の目は、この更正施設の中が効率よく、すべてにおいて合理的に廻っていくよう、すべてを隈無く監視する為に改造された。だから『赤い』のだ」
 それだけ答えると、再び歩き出した。

 その日の夜から、空は自分の部屋で寝ることとなった。
 同室している仲間達は十代から六十代までと千差万別だ。だが、誰一人会話を交わすことなく、また、自己紹介をするようなこともなかった。
 まるで棺桶のように小さなスペースの中で眠ることを強いられた空は、翌朝、全身が痺れたような不快感の中で目を覚ました。ひどい倦怠感から再び眠りに落ちようとした時、けたたましいサイレンが鳴り響いた。
 起床の合図だ。
 あちこちのカーテンが一斉に開いた。
 みな狭いスペースでの眠りが苦痛なのか、清々しい表情を浮かべる者は誰ひとりとしていなかった。
 風景と同じ灰色の制服に着替え、朝の準備を整える。それも、この施設内において順序はすべて決まっている。最初に洗面所で顔を洗い、その後はトイレで用を足し、最後に体操をしてから朝食となる。それが、労働に就く前の一連の流れであった。それらのスケジュールは、すべてことこまかに決められている。それを少しでもオーバーしようものなら、監視員から罰を受けるのだ。だからみな、誰と会話を交わすことなく、無言で時間内に行動を済ませようと必死である。まだ子供である空が右往左往していても、誰一人優しい声をかける者はいない。

「邪魔だ、小僧!」

 背後から走ってきた男にはじき飛ばされ、空は床に腰を落とした。立ち上がろうとした瞬間、ピピピーと笛の音がして監視員の声が響く。

「ナンバー309! 10秒のペナルティ!」

 309というのは、空の呼び名だ。この施設では誰のことも名前では呼ばない。宛がわれた番号が、名前となるのだ。
 何故、自分がペナルティを負わなければならないのか、空にはわからない。空は、普通に歩いていたところを背後から来た男にいきなり突き飛ばされたのだ。言うなれば、自分は被害者なのに――。
 唖然としている空に、監視員は冷徹な声を響かせた。

「お前がそこに転んだことで、みなの歩みが遅れ、全体の統制が乱れた。本日のスケジュールから10秒マイナスする。成績不審者として呼び出されたくなければ、10秒のタイムロスを縮めることだな!」
 それだけ告げると、監視員は踵を返し元の場所へと戻って行った。

 空が僅かに遅れて食堂へ行くと、そこは灰色の人達で溢れていた。みな、時間内にすべてを済ませようと小走りで移動している。
 朝食もすべて、食べる時間は決められていた。その為、誰も会話しようとする者はいない。会話をすれば、その分食べる時間が減るからだ。

「『効率』をはかれ! 効率をはかることこそが、歯車である貴様らの役目だ! 時間を短縮し、生産性をあげろ!」

 スピーカーから呼びかけが繰り返し響く。
 空は、この異様な雰囲気についていくことが出来なかった。呆然としたまま佇んでいると、すかさず監視員が飛んできた。
「おい、新入り。何をぼんやりしている」
「ぼ……僕、本当の自分を思い出させてあげるからって、ここに連れて来られたんです」
「それで?」
「でも、こんなに『時間時間、効率効率』ばかり言われていては、自分を思い出す余裕なんかありません。ただ働かされて、どんどん心が失われていくばかりです」
「そうだ。それこそが『本当のお前自身』だ」

 あっさり返答された言葉に、空の目が見開かれる。
「どういう、意味ですか?」
「言葉通りの意味だ。制約された時間の中で、効率をはかり社会に貢献することこそが、お前自身の価値であり、お前の役目だ」

 そう告げる監視員の目には、優しさなど欠片もなかった。ただ、用意されていたかのように淡々と告げる。
 空はしばらく唖然としていた。まだ人生経験の浅い空だが、それでもこの環境がどこか不自然だということだけは、直感で感じとった。
「……そ、そんなのっておかしいよ。それじゃ、機械と同じじゃない!」
「そうだ。人間は『社会という工場に置かれた機械』だ。お前達はそれを思い出す為ここに来た。これ以上の質問は受け付けん。新入りだから特別に聞いてやっただけだ」
 そう言うと、監視員はそのまま去っていった。

 様々なことに疑問を抱きつつも、空は監視員の言われた言葉を痛感するに至っていた。
 そう。ある意味において、この更正施設は「自分を思い出させる場所」だ。しかしそれは、社会に都合がいいよう押し付けられた自分でしかない。次から次へと与えられる仕事に追われ、自分を省みることすら、空はままならなくなっていった。
 空の日常は、すべて時間に支配されていた。その上、それらは自ら自発的に組んだスケジュールではなく、外部の者により押し付けられたスケジュールでしかない。そこには、空自身の個性やアイデンティティが反映される余地はなかった。今や、空の価値観、人生におけるすべてが、「時間」という枠組みの中で組み上げられてしまっているのだ。
 一日が終わると空はクタクタに疲れ果て、何も考えることが出来なくなっていた。そんな日々を過ごすにつれ、空は自分が抱いていた疑問さえ、忘れていった。
 生きる目的や意味を考える余裕のない生活は、こうして空の心を少しずつ機械へと変えていったのだった。

 そんなある日のこと。食堂で食事をしている空の耳に、こんな放送が聞こえてきた。
「以下読み上げる者は、今月の優秀者である。ナンバー106、139、218――」

 その途端。
 カチャカチャと食器を忙しく動かしていた音が、ピタリと止んだ。
 みな息を潜め、スピーカーに全身の神経を傾けるようにして聞いている。
 時折、どこかから悲鳴にも近い歓喜の声があがった。「やったぁ! やったぁ!」と叫び続ける声が、静寂に響いている。

「224、231、309――」
「あれ? 309って、僕のことだ」
 思わず空は声に出した。
 すると瞬時に、周囲にいた男達の表情が変わった。みな羨望の目で空を見つめる。
「お前、先月入ったばかりの新入りだろ?」
 目の前の男が呟いた。思えば、ここに来て1ヶ月――初めて、仲間と口を利いた。男の質問に、空は無言で頷いた。
「……運いいよなぁ。何千人もいる中で、優秀者に選ばれることなんか滅多にないんだぜ。俺なんか、ここにもう5年近くいるっていうのに、一回も呼ばれた試しがないよ」
 そう言って、男は本当に哀しそうな表情で溜息を吐いた。
「これに選ばれると、何かいいことでもあるの?」
 空がそう質問したと同時。長々と数字を読み連ねていた放送が、突如こう告げた。

「以上、20名の人間が今月の優秀者だ。――おめでとう。午後1時よりインセンティブの授賞式を所長室で行うので、必ず出席するように」
「インセンティブ?」
 空が首を傾げた。
「『ご褒美』だよ。ここで使える貨幣だ」
「かへい……?」
「お金だよ、お金。この施設内でしか使えないが、それでもかなりの足しになる」
 空があまりに驚きすぎてきょとんとしている中、監視員の声が響いた。
「通常の予定より30秒オーバー! 急いで持ち場に戻れ!」
 その後、空と男は会話することなく、慌てて食事を終わらせるとそれぞれ配属された部署へと戻っていった。

 その日の午後。空は監視員に案内され所長室へと赴き、そこで初めて「褒美」を手にした。
 それは数枚の紙切れだったが、この施設内で生活品などを購入するには充分なものだった。
 この褒美のシステムは、施設内で実に良く機能していた。褒美として与えられる紙幣は、外部のお金同様施設内において価値があり、事実上ここで紙幣を貯め込んだ物は「成功者」となれるのだ。

 空は、最初のうちこそは「ここで成功者になるつもりはない」と思っていたが、一度インセンティブを手にしてからは仲間達は勿論、監視員でさえも空に一目措くようになるような状況を味わってからは、それが忘れられなくなった。
 優越された環境が、空にとって「心地よい」と、そう思えてしまったからだ。
 それから何回かインセンティブを受けていくうちに、空は特別な待遇を受けるようになっていた。おかげで、空はこの施設で摩擦なくやっていく「術」を手にしたのである。

 ――しかし。
 それは、「本当の幸福」と言えるのだろうか?

 この施設に溶け込むことが出来た途端、空は、今まで自分が抱いていた「自分が何者であるのか」という疑問、および、この施設に対する疑問なども、すべて忘れていってしまった。空でさえもが「社会に組み込まれたいち歯車である自分」を受け入れ、周りの人を気遣うことよりも「インセンティブをもらう喜び」を求めるようになっていたのだ。

 そんなふうに時は過ぎ、この施設での生活もだいぶ慣れ始めていた。
 気がつけば、空と同じぐらいの年齢の子供達も続々と入所してくるようになっていた。みな、初めて来た頃の空のように、不安の真っ只中にいた。怯えるように辺りを見回してる中、同い年ぐらいの空を見つけ、安堵したように歩み寄って来る。
「あ、あの――」
 しかし、空は返事をしなかった。無視し続ける空に向かい、思い切って話しかけてきた。
「あの……僕、これからどこに行けばいいのか、わからなくて……」

「――監視員に聞いて! でないと、僕の『作業効率』が下がるから」

空の声は、驚くぐらいに冷淡だった。
 言い放された少年は、涙がいっぱい溜まった目を見開いて、呆然と佇んでいる。
 そんな姿に、空の中で苦い思いが過ぎった。しかし、わざとそこから思いを逸らす。

 ――みんな、同じ思いをして来たのだから仕方ない。僕だってそうだ。だから、あの子もいつかは分かるはずさ。

 心の中で言い訳をした。
 しかし、本当の理由はそうではない。空は、いつしかインセンティブの奴隷と化していたのだ。仲間を庇うことよりも、監視員に気に入られることを――転んだ仲間に手を差し伸べるよりも、業務時間を短縮させることを、空は意識するようになってしまっていたのだった。


 こうして、長い時間と歳月が過ぎていった。
 空は、自分がここに連れてこられた時に抱いていた疑問や困惑など、すっかり忘れてしまっていた。頭にあるのは、「如何に効率よく過ごすか」と「如何に成功するか」ということ――それだけだ。「成功」という二文字が空のすべてを支配するようになり、気がつけばインセンティブを受けることだけが、人生の目的にすり替わっていたのだ。
 そしてその日も、空は、いつものように効率をあげる為一定時間集中して作業を続けていた。気が散り始めたことを実感すると、まるで息継ぎをするかのように顔をあげる。

 ふと。
 窓の外に、見覚えある人物の影が映った。

 ――あれ? どこかで見たことのある人だ。

 その人物と記憶が合致した瞬間。
 空の中で、何かが大きな音をたてて爆発した。

 そこに立っていた人物。
 それは、あの「不思議な青年」だった。

 肩までの黒髪を風に靡かせた青年は、黄金色の瞳で空をじっと見つめている。距離があるにもかかわらず、空はまるで自分の心を見透かされているかのような――そんな感覚に陥った。

 その瞬間。
 空は、自分がここに来た時抱いていた疑問のすべてを思い出した。
 思い出した途端、居ても立ってもいられなくなった。突如その場から駆け出すと、青年の元を目指して階段を駆け下りる。
 空の行動に気付いた監視員達が、声をあげて追ってきた。しかし、空は止まろうとしない。

 ――インセンティブなんか、もういらない!

 あの青年に尋ねたい。自分が何故ここに来なければならなかったのか、ここにいる意味は何なのか。きっと、青年であればその理由を知っているはずだ。
 そう思った空は、ただがむしゃらに走り続けた。

 ところが。
 さっきまで青年が立っていたはずの場所には、誰もいなかった。ただガランとした広場だけが横たわっている。
 空は息を弾ませながら辺りを見回した。しかし、どこを探しても青年の姿はなかった。

「おい、貴様!」
 監視員が空の肩を掴んだ。
「今は業務中だぞ! 貴様が単独行動を取ったせいで、全体の作業が28パーセントの遅れをとってしまったではないか。この罪は重いぞ!」
 監視員が捲し立てても、空の心はいっこうに呼び起こされない。空は虚ろな瞳で、青年の立っていた場所を見つめ続けた。
「罰として、『無間室(むげんしつ)』3日間の刑だ」
 そう言われても、空は反応することさえ出来なかった。空の頭には、あの青年を探すことだけで精いっぱいだったからだ。監視員が引きずるようにして空を連れて行こうとした時も、空は抵抗することなく、ただひたすら消えた青年の姿を探し求めていた。

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