第21章 無間地獄
 空が監視員達に連れて行かれたのは、地下深いところにある小さな部屋だった。
 否、部屋と言うよりも空間と言った方がいいかもしれない。人一人がやっと座れる程度の広さしかなく、その上、四角四面黒く塗りつぶされた壁に覆われている。

「ここでじっくり反省しろ」
 監視員は空のことを乱暴に突き放した。
「ここは『無間室』だ。すべてが闇に包まれ、何もない世界。ここでお前は『無』に帰り、自分の愚かさを反省するといい」

 そう言って、勢いよく扉を閉める。
 呆然と空が佇んでいる間、突如、壁の四方から闇が迫り寄ってきた。瞬く間に闇は空間を支配すると、空はただひとり、その中に閉じこめられてしまった。

「ねぇ、監視員さん!」

 恐怖から絶叫する。
 しかし、その声はまるで闇に呑み込まれてしまったかのようで空の耳にさえ届かない。
 そこは、色も、光も――そして、音もない世界だ。
 空は、ただ闇と同化していた。そしてついに、自分が浮かんでいるのか、寝ているのか、逆立ちしているのかさえわからなくなってしまった。
 最初は恐怖で発狂しそうだった。
 しかし、恐怖も絶頂まで達すると、徐々に落ち着きをみせはじめる。
 それどころか、どこか「居心地の良さ」を感じ始めた。そうなった時に初めて、空は今の環境――どんなに褒美に心を弾ませたとしても、時間も生活も何もかもが制御されている生活に、自分がどれほど疲弊していたかを理解出来た。
 「何もない状態」になって初めて、心の中にある色々なものが浮かび上がってきたのだ。それはあたかも、外部の光が遮断されたことで、心の内側に光が灯ったかのようだった。
 空はじっと、自分を感じてみた。

 肉体があるのか、自分がどのような状態なのかさえまるでわからない。
 しかし、ただ「存在」があることだけを感じ取った。

 感覚もなければ触覚もなく、五感はいっさい何の反応も示さない。
 ただ「自分がここにある」ということだけを、空は実感する。

 ――今こそ、僕は何をしているのかを、思い出せるかもしれない。
 空はそう思うと、じっと思考を廻らせた。

 静寂というのは、人の本質を蘇らせるものである。
 何もない空間だからこそ、自分の内面に意識を向けられるものなのかもしれない。
 空は、自分の奥深く――まるで、小さな蝋燭(ろうそく)の火のように灯る、ほのかな輝きがあることに気がついた。
 だが、それに焦点をあわせ、見つめようとすればする程、その輝きはもやもやと煙のようになってしまい霧散していくのだ。
 だが、焦点をずらすと、それがそこに存在しているのがわかる。

 ――これが「僕」だ。僕の「核」なんだ。

 空はそんなふうに思った。
 自分の核を見つめることに成功した空は、さらに疑問を深めてみた。

 ――僕って、一体何者なんだろう。

 問い詰めれば問い詰めるほど、その正体は曖昧になっていった。
 しかし、一度視線を逸らして漠然と感じようとすると、それは正体を現す。
 どうにも不思議な感覚だ。

 そう言えば、ずっと前知恵蔵が言っていたっけ。物質世界を象っている素粒子というものも、そういう性分なのだと。もやもやとした霞のようであり、観察しようとするとそこに存在するのだ――と。
 空は、それを「自分自身」に当てはめてみた。「突き詰めすぎては、まずいのかもしれない」と直感で感じ取り、少し的を外してみる。

 すると、面白いことが起こった。
 もやもやとした霧を詰めた外郭は、明確な程、空の性分を表したのだ。
 真面目な性格、好奇心が強い性格、疑問はそのままにしておけない性分や、淋しがりやなところなども――。
 だが、それらも多くの側面の一部に過ぎず、全体は内部の漠然とした霞み同様、同じように漠然としていた。

 ――これは、どういうことなのだろう。

 核と外郭は、まこと同じ『霞』だったのだ。
 そして、自分の外郭――真面目な性格、好奇心の強い性格などは、あらゆるものがコーディネートされた、「寄せ集め」であると感じた。
 その中枢に、あろうことか「自分はなかった」。
 いや、自分というものこそが「寄せ集めである」と、そう思った。

 ――僕は、あらゆるものの「集合体」なんだ。それら集合体を、僕が「僕」と認めているだけなんだ。


 ――じゃぁ、僕の目的は?

 ――僕がここにいる理由は?

 ――僕は、何故生きているの?

 ――何故、生きようとしているの?


 様々な問いかけは、空の中で幾重にも反響した。
 そして、その問いに答えるかのようにして、いろいろな人が語りかけるような声が聞こえる。
 空は、心の耳を塞いだ。ただ、ひたすら自分から湧き上がってくる声に耳を傾けるため、自分という存在と溶け合った。

 そのうちに。
 空は、次第に何かが明確になるような感じがしてきた。
 無間地獄の中で自分を感じられないからこそ、空は「自分の実体」を掴み始めたのだ。
 肉体がないからこそ、「自分がどんな肉体をまとっていたか」を思い出した。
 外部環境による情報から遮断された空間だったからこそ、空は、自分自身を見つめることに成功した。
 そして――。

 空の中で遂に、大きな音と共に大爆発が起きたのだ。
 それは、宇宙創生の瞬間――ビッグバンのようだった。
 突如爆発した「思い」は猛スピードで空の中を駆けめぐり、空は、すべての記憶を――白い柴犬だったこと、未来達人間の未来を守る為旅していることを思い出した。
 そして、どうしてここにいるのかも――。

「ガナルダ仙人!」

 空は、自分をこの世界に送り出した人物の名を叫んだ。
「ガナルダ仙人! 僕は自分を思いだしたよ。だから、ここから出して!」


 その瞬間。
 空の前方に、金色の光が走った。次第に全体を包みこみ、夜明けのように広がっていく。
 それはまるで、永い夜の果てに訪れた朝のようだった――。

 目蓋を開けても、しばらくの間何もかもがぼんやりとしていて分からなかった。やがて、徐々に焦点が合い始める。
 空の目の前には、ガナルダ仙人の笑顔があった。深い皺の中にある目が、優しく微笑んでソラを見つめていた。

「――よくやったぞ、ソラ」
 仙人はそう言って、ソラの頭を撫でた。

 ソラはまだ、幻覚から醒めきらない様子で呆然としていた。徐に体を起こし、辺りを見回す。
 そこは、見覚えるある空間――ガナルダ仙人の庵の中だった。灰色の世界も、自分がいた闇の空間もない。その上、人間の少年だった「空」は、白い柴犬の「ソラ」に戻っていたのだ。
 ソラ達が気を失う前からパチパチと音をたてていた焚き火は、未だ勢いよく燃えている。とても永いこと幻覚に囚われていたようだが、実際のところはさほど時間は流れていないようだった。

 辺りを見回すソラの視点が、ある一点で止まった。
 そこには、セレブレイトの姿がある。黄金色の瞳でソラを見つめる彼を見た瞬間、ソラの瞳に涙が溢れた。
「セレブレイトさん、僕……僕……すっごく、すっごく辛かったよ」
 そう言って、声をあげて泣いた。

 セレブレイトは何も言わなかった。
 ただじっと、ソラを見つめている。
 いつもは鋭い光を灯している目が、今はとても優しく輝き、幼子を見守る父親のようにも感じられた。

 ガナルダ仙人は腰をあげると、泣きじゃくるソラの頭を優しく撫でた。
「――おう、おう。可愛そうに、辛かったじゃろうな。本当の自分をどこかで自覚しつつ、それを思い出せないままでいるというのは、本当に苦痛なものじゃ。この猫は、賢いことに最初からそれを見抜いておっての。だから、お主を導く役目を果たせたのじゃ」

 ソラは、涙に濡れた瞳をセレブレイトに向けた。
 あの不思議な黒髪の青年は、セレブレイトだったのだ。
 セレブレイトはセレブレイトとしての自覚を持ったまま幻覚へと入り込み、ソラを導いてくれたのだ。もしもセレブレイトが導いてくれなかったら、自分はあのまま灰色の施設にいたのかもしれない――そう思うと怖くてたまらない。

「――ありがとう、ありがとう! セレブレイトさん……、本当にありがとう──」
「どうじゃ、ソラ。お主にも、人間の辛さがわかったかな?」
 仙人の問いかけに、ソラは深く頷いた。
「僕には、人間社会の仕組みがよくわからないけど――でももし、あんなふうに時間時間、効率効率言われるのが人間の社会なら、僕は人間になんかなりたくない」
 はっきりと、そう言い切った。
「うむ。あの世界は儂(わし)が造りだしたものだから、多少誇張はしておるものの、一面でそれは事実じゃ」
 そう言うと、仙人は杖を持ち立ち上がった。

「便利さを追求するうちに、人は社会を維持するひとつのシステムと化してしまった。過剰な便利さというものは、ただ人の心を疲弊させるものだけであることを忘れ、自らを生み出す機械と変化させてしまったのじゃ。勿論、そうでない人間もたくさんおる。しかし、お主が味わった『更正施設』におけるような苦悩を味わっている人間も、これまたいるのは事実なのじゃ。その上、誠に恐ろしいことじゃが――あの世界は、決してただの幻ではない」
 ガナルダ仙人は、声を低くして呟いた。
「ただの幻じゃないって――どういうこと」
「人間達が自らの行為を省みて、何故自分達がこれほどまでに虚しく、何故これほどまでに苦しいのかを悟る日が来なければ――あのような未来もあり得るということじゃ」
「じゃ、じゃぁ! 本当に灰色の施設みたいのが出来るような世の中に――」
「……なっては欲しくない。だが、ああいう未来があるかもしれないということを、人間達もどこかでわかっておくべきなのかもしれん。――それにしても」
 仙人はコホン、と咳払いをした。

「『本当の自分など、気にも止めず生きられる』のなら、それもまた幸せなのかもしれぬ。お主の仲間達を見ていると、そう思うぞよ」
 振り返ると、そこには未だ眠りについたピピン、アーク、クックの姿があった。その寝顔は、とても幸福そうだった。
「みんな、僕のお姉ちゃんとお兄ちゃん、お母さんだったんだね」
「さよう。この三匹は大したもんじゃ。最初から、幻覚を現実として受け入れることが出来たんじゃからな。幸福な人生じゃ。――しかし、このまま眠らせておくわけにもいかんじゃろ」
 仙人は杖で、三匹をこづいた。
 最初に飛び起きたのはクックだった。「あらやだ、いけない! 朝御飯作らなくちゃ」と、慌てふためく。それに継いで、アークとピピンも目を覚ました。三匹とも、どこかまだ夢心地だ。
「――どうじゃ。永い夢から覚めた気分は?」
 仙人が笑いながら尋ねる。
「な、何なんだわさ、ここは! あたい達、あーくんの見た夢の中にいるのかしら?」
「夢じゃないよ」
 ソラは、静かに告げた。
「――夢じゃないよ、ピピン。これが、現実なんだよ」

「げ、現実?」

 しばらく沈黙が続いた。
 漸く現実を呑み込めたピピンは、照れたように笑った後誤魔化すように手をヒラヒラさせた。
「――や、やだなぁ、もう! すっかり騙されちゃったわさ!」
「いやはや、お主の図太さは大したものじゃ。じゃが、その明るさこそがお主の魅力かもしれんのう」
 そう言って、仙人は笑った。そして、徐にこう告げる。

「――さて、ソラよ。お主達はみな、幻覚と現実の境界に立ち、そこから目的を探し出すという試練を無事に乗り越えた。ここで、最後の質問じゃ。『これより先に進み、神のいる世界へと向かう』か、それとも『元いた人間界へと帰る』か――さぁ、どちらを選ぶ」

 仙人に問われ、ソラは躊躇うことなく即答した。
「僕は、神様のところへ行きます! 猛霊達のことを伝え、人間のみんなを守って欲しいから」
「さようか。お主であれば、そう答えると思った。他の者はどうじゃ?」
 仙人の問いかけに、みななかなか答えなかった。しばらくして、決意するようにクックが言う。
「あたしゃ、こっちの世界でもソラのお母さんみたいな気分でいるんだ。息子をひとり、危険な旅に出せないよ」
「お主は?」
「あ、あたいは……セレブレイトが行くなら、一緒に行く!」
 大胆にも、ここぞとばかりに告白した。仙人はカラカラと笑う。
「ほっほっほ! それもまた真なりじゃ」
 そう言って、仙人はセレブレイトを見つめた。
「娘はそう言っておるが――はて、お主はどうする?」
 そう問われても、セレブレイトは至って冷静だった。冷ややかな瞳のまま、こう告げる。
「俺の肉体は、こいつらと違ってこの世界にしかない。だから、進むしかない」
「では、決まったな」
 そう言って、仙人はピピンにウインクした。
「最後に、お主はどうする気じゃ?」
「ぼ、僕は……み、みんなが行くんなら一緒に行くよ」
 アークの言葉に、仙人は顔を顰めた。
「それは、本当にお主の意志なのか? 廻りに引きずられて、そう思っているだけではないのか?」
「ち、違うよ。僕、とっても弱虫でいくじなしだけど――みんなのことが大好きなんだ。だから、みんなと一緒にいたいんだ」
「なるほどな。それなら、納得した」
 そう言って、仙人は全員に向き直った。

「では行くがよい、若きいのちたち生命達よ! ここから先は、さらに危険な旅じゃ。多くの試練や罠が待ち受けておる。心の『眼』をしっかり開けて、心してかかるがよい」

 高らかに声をあげ、仙人は手にしていた杖を振り下ろした。そのまま、扉の取ってを握る。
 仙人が扉を開いた瞬間。
 向こう側に広がっていたのは、鬱蒼と葉を茂らせるジャングルだった。
 熱気と湿った葉の匂いが、瞬く間に室内を満たす。闇色に染められた森が、ソラ達の行く手を遮るかのように横たわっていた。
「こ、これ何だわさ? 砂漠は一体、どこに行っちゃったのさ?」
「『深海砂漠』は、儂の庵が最終地点じゃ。ここから先は、お主達の目的に応じた世界が広がっておる。無事、神の元に辿り着けるかどうかは――お主達次第じゃ」
 仙人の言葉に、ソラ達はみな互いに顔を見合わせた。
 心のどこかに動揺を抱える四匹とは異なり、セレブレイトの表情だけは常に冷静だ。

 セレブレイトの心の内に広がる闇を、今はまだ誰も気付いていない。
 セレブレイトもまた、ここにいるソラと同じように、目的を持って旅をしているのだ。
 ――例えそれが理由で、この先ソラ達と袂を分かつ結果になったとしても……。

「行こう、みんな! 神様のところへ!」

 ソラが決意新たに呼びかけた。
 クック、ピピンにアークは「おう!」と一斉に力強く声をあげた。

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