第22章 祖人(そじん)達
 ――ここはどこだろう。
 ぼんやりとした思考を整理しながら、尚人は体を起こした。
 鼻につく腐葉土の匂いは、この森の湿気を含み、全身にまとわりつくような熱気で辺り一面に満ちていた。
 尚人は廻りを見回した。同時に、自分に何が起きたのかを思い出す。

 ――そうだ。僕は、川に落ちたんだ。濁流の中流されていたはずなのに……あのあと、一体どうなったのだろう……。

 尚人は慌てて立ち上がった。不思議なことに、怪我ひとつしていない。それどころか、尚人の周辺に川らしきものさえどこにもないのだ。あるのは湿った土とシダ植物。そして、高くそびえ立つ木々である。
 ここは、尚人が平林と共にいた山とは明らかに異なっていた。
 それは、この熱気が物語っている。尚人は今までに世界中の森林を歩いてきたが、この空気は間違いなく熱帯地方のものだ。木々の様子も日本とは異なり、南方のジャングルを思わせるようなものばかりである。

 ――一体、どうなっているというんだ。僕は、夢でも見ているのか。

 ひとつの可能性として言えることは、自分の心は現実を離れ、異なる世界に行ってしまったかもしれないということだった。あのような濁流に呑み込まれて、生きていられるはずがない。もしかしたらここは、死んだ後の世界なのではないだろうか――そんな疑問も過ぎった。
 しかし、その割には尚人の五感は、明確にはっきりと作動していた。まとわりつく湿気に、こめかみを流れる汗。額に浮かぶ水滴も、明らかな程尚人に生きている実感を伝える。
 尚人は両手の平を見つめた。何度も、結んで開いてを繰り返す。

 ――生きているわけでも、死んでいるわけでもないということなのか。

 尚人はもう少し事情を知りたくなり、森の中を歩き始めた。
 高く射し込む光は未だ周囲が昼間であることを告げているが、あまりに木々が高い為、木の葉が空を覆い尽くし、まるで夕暮れ時のような明るさしかない。
 ふと、尚人は足を止めた。
 前方に、何かが横たわっている。それが、見覚えある作業服であることに気付いた瞬間、尚人は駆け寄った。

「平林さん!」

 尚人の呼びかけに、平林も気がついた。「うぅーん」と唸りながら後頭部をさすりさすり体を起こす。
「大丈夫ですか? 怪我はありませんか」
「――うぅ、何とか無事のようだ。しかし、あんな濁流に呑み込まれて、私らよく無事だったな」
「……無事だったのかどうかは、まだわかりませんよ」
 尚人が意味深げに言う。
「平林さん、『ここ』――どこだかわかりますか?」
 平林は「ここ?」と言いながら辺りを見回した。しかし、眼に入るすべてのものが見覚えない有様に、表情がみるみるうちに曇っていく。
「ど、どこだここは! こんな場所、あの山にはないぞ」
「ええ、ないでしょうね。それどころか、日本にもないはずです」
「何だって? だったら――ここは一体!」
 平林が叫んだ瞬間。

 シュンッ……と風を切る音がした。音と同時に、平林の頬を何かがかすめる。
 やがてカツン、と背後で突き刺さる音がした。
 視線を向けると、自分の頬すれすれに矢が揺れているのがわかった。平林がもたれかかっている樹に、鏃(やじり)が深々と射し込まれている。

「う、うわぁ――っ」

 状況を悟り、逃げだそうとした平林を尚人が押し倒した。
「危ない、伏せて!」
 その叫びと同時。
 再びシュン、シュンッと幾重にも風が切れた。平林に覆い被さるようにして庇う尚人の周辺に、降るように矢が刺さる。
 ザワザワと樹が揺れ、あちこちから何かが出てきた。甲高い声で合図するように聞こえる音に、尚人は恐る恐る顔をあげた。

 その瞬間――。
 尚人は、目を疑った。
 そこにいたのは、原始的な衣装を身に纏う人々だったからだ。それも、明らかに現代人ではない。人間の祖――いわゆる『原始人』だったのだ。
 呆然とする尚人の前に、ひとりの原始人が歩み寄った。
 その目はとても静かで、荒々しい生活を送る原始人とはほど遠い印象を受ける。知的な光の灯る瞳を見ているうちに、尚人は不思議な感慨が過ぎり始めた。

「言葉は……わかりますか?」

 するとどうしたことか。その原始人は頷いたではないか。
「我々は、元はお前と同じ者。同じ人間。だが、自らの選択により『祖人(そじん)』となった」
「――祖人?」
「そうだ。人間の『祖』であり『素』でもある。そして、私はここの酋長だ」
 そう言うと、酋長は背後を振り返った。
「この者達を捕らえ、牢に連れて行け」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
 尚人は立ち上がった。
「あなた方の聖域を荒らしたことは謝ります。ですが、少し話を聞いてくれても――」
「聞く話などない」
 酋長は低く告げる。
「お前達は森を荒らし、山を崩し、自然を崩壊させた。その罪は重い。そんなお前達に、情状酌量の余地はない」
「――しかし!」
「この者達を連れ帰れ。今夜新月の訪れと共に、大地に向けてこやつらを生贄として捧げる!」
 酋長の合図と共に、みな声をあげて踊り出した。
「い、生贄って……食べられちゃうのか!」
 平林が素っ頓狂な声をあげる。混乱した平林の太い腕を、2倍の筋肉を持つさらに太い腕ががしりと掴んだ。
「い、いやだぁ──! こんなところで死にたくない!」
 尚人は刃向うこともできず、ただされるがままにしていた。頭の中で、大切な存在の名前を何度も何度も連呼しながら……。


 ──未来……。

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