第23章 別離(わかれ)
 ガナルダ仙人の庵から旅だったソラ達は、鬱蒼(うっそう)と生い茂るジャングルの中を歩き始めた。
 足を踏み出す度に、ぐにゃりと土の感触がする。腐葉土特有の湿った匂いに、ソラは僅かに咳き込んだ。
「大丈夫かい?」
 クックが背後から声をかけた。
「うん、大丈夫だよ。気にしないで」
 ソラはそう答えると、再び歩き出した。ソラを先頭にクック、ピピン、アーク、そしてセレブレイトの順で、五匹はひたすら歩き続けた。
 昼か夜かもわからない中途半端な闇が、延々と続いた。たちこめる霧は気がつくと消え、また気がつくと再び辺りを包みこんだ。
 しばらくの間、五匹は黙々と歩いた。時折頭上でクェックェッと奇妙な鳴き声が聞こえる。聞いたこともない鳥の声に、ピピンは怖々視線をあげた。

「ま……まさかあたい達、食べられちゃったりしないわよね」

 ピピンが怖がるのも無理はない。この場所は、言いようのない濃い気で満ちている。まるで空気が意志を持っているかのように、ソラ達の到来を拒んでいるかのようだった。
「ね……ねぇ、セレブレイト。君、勘が鋭いンでしょ? ここから先、何があるか教えてよ」
 アークの問いに、セレブレイトは答えなかった。ただ真っ直ぐ前方を見据え、歩き続ける。
「……チェッ! スカした奴」
「あに言ってンのさ! セレブレイトは『自分で考えようとさせてる』のよ。あンたこそいっつもセレブレイトに頼ってないで、少しは自分で考えてみたらどうなのよ!」
 ピピンが文句を言う。
 ガナルダ仙人の庵を出てからというもの、ピピンはやたらにセレブレイトの肩を持つ。アークは、これが「恋した女心(正確には雌心)というものなのか」と思いつつも、何だか癪に障る。
「ピピンこそなんだよ! そっちはいつだってソラに頼ってばかりじゃないか、僕のこととやかく言える立場じゃな──」
「あんた達! 喧嘩するなら置いてくよ!」
 クックにぴしゃりと叱られ、二匹は慌てて走り出した。
 しかし、そんな二匹の様子にもセレブレイトは反応しない。否、それどころか、心ここにあらずといった様子だった。しばらくぼんやりとしたまま歩き続けたセレブレイトだったが、突如その場で足を止めた。
 セレブレイトが立ち止ったことに気づかず、ソラもクックもピピンもアークも歩き続けていく。そんな仲間たちの後姿を、セレブレイトはじっと見つめていた。
 その瞳は静かで、どこか淋しささえ覗かせていた。何か決意を秘めたような表情を浮かべ、呼びかける。

「――ソラ」

 ソラは足を止めた。
 振り返ると、離れたところでセレブレイトが立ち止まっているのがわかった。怪訝に思ったソラは、もと来た道を小走りで戻る。セレブレイトの前で歩みを止めると、あどけない表情で首を傾げた。
「なに?」
「俺は……ここから先、お前達とは一緒に行けない」
「えっ!」

 セレブレイトの言葉が、ソラは理解出来なかった。
 何故、突如一緒に行けないなどというのか。一体、これからどこへ行こうというのか。ソラには何もかもわからない。頭が混乱したままのソラに向かい、セレブレイトは低く告げた。
「いいか、ソラ。ここから先『迷い』を捨てろ。どんなに感情が困惑しても、信念だけを貫け。迷えば必ず、お前は幻覚に囚われてしまう。俺が言いたいのはそれだけだ。……いいな」
 ソラに反論の余地も残さず、身を翻して崖へと飛び降りた。斜面に生える木々の根や幹を利用して、素早く駆け下りていく。
「待って! セレブレイトさん!」
 ソラの叫びに、セレブレイトは止まる素振りさえ見せなかった。軽々と斜面を降りると、闇の中に姿を消した。
 ソラはセレブレイトが消えた斜面を見下ろし、呆然と立ち尽くしていた。セレブレイトの向かった方角に、もう彼の姿は見えなかった。言いようのない哀しみが、ソラの中に湧き起こった。

 ふと気がつくと、仲間達がソラを囲んでいた。みな、ソラのことを気遣うようにして、じっと見守っている。
「セレブレイトさん、行っちゃった……」
 ソラは泣き出しそうなのを我慢して呟いた。
「――仕方ないよ。彼には彼なりの、目的があるんだろうからね」
 クックが優しく慰めた。それでも哀しみは消えることなく、ソラの瞳にじわりと涙が浮かんだ。スンスンと泣き始めたソラの頭を、クックは羽根で優しく撫でた。
「泣くンじゃないの。また必ず、セレブレイトと会えるから。――ね? こんなところで自分に負けてたら、これからの試練乗り越えられないよ?」
 クックの言葉に、ソラは「うん……」と頷いた。
「――ケドさぁ。あいつスカしてて嫌な奴だっただけど、猛霊に襲われたりした時はあいつのおかげで助かってたじゃん。あいついなくても、大丈夫かなぁ」
「あに言ってンのさ!」
 ピピンがアークを足蹴りした。
「そうやって、何でもかんでもセレブレイトに頼ってたから、呆れ果ててあたいらのこと見捨てたんじゃないさ!」
「――違うよ。そうじゃない」
 呟くようにソラが言う。
「セレブレイトさんは、『何かを決意してる』んだ。僕らには言えない理由があって、その為に、僕らの前から姿を消したんだ……」
「……ソラ」
 哀しそうに呟くソラを、ピピンも辛そうに見つめる。
 すると、重い空気を払いよけるかのように、クックが手羽先をパンパンと鳴らした。
「――さぁさぁ、いつまでも落ち込んでなんかいられないよ! 神様のところへ行くンだろ! ほら! みんなしっかりおし!」
 そう言って、クックは気落ちしかけたみんなを奮い立たせた。

* * *


 遠くで地鳴りのような音がする。
 やがて、地の奥深いところから聞こえるリズミカルな音が、地鳴りではなく太鼓の音であることに気がついた。かなり距離はあるようだが、とても低い音のせいか空気の振動を感じさせる。

 ──あの太鼓は…祖人達が鳴らしているのか。

 尚人はそんなふうに考えた。
 先ほど遭った祖人の酋長のことが、ふと脳裏に過る。見かけは荒々しい姿だが、その目の奥には深い智慧を宿した灯があるようにも思えた。しかし、そんな智慧を遮る程にまで膨らんだ憎悪と憤怒の感情が、理性的な智慧の灯を消している──そんな印象を受けたのだ。

 ──彼らが祖人となったのには、何か理由があるのかもしれない。

 尚人は膝を抱える腕に埋めていた顔をあげ、前方を見た。すると、視線の先で慌てふためいた表情でズボンのポケットやら上着のポケットをまさぐる平林の姿があった。
「……何をしてるんです」
「――『金』だよ。金を、探してるンだ」
 尚人は眉間を寄せた。
「何故、そんなことを?」
「き……決まってるだろう! 『保釈金』だ。ここから出してもらう為のだよ!」
 平林は本気だった。尚人はしばらく唖然としていたが、困ったような表情で笑う。
「彼らが、現代の通貨に興味を持つとは思えませんよ」
「そんなこと、やってみなければわからんだろう!」
 ふと。平林は叫んだ後に表情を崩した。口の端をだらしなく開け、「あ、あ――まさか、まさか」と言って、慌ててズボンの右ポケットに手を突っ込んだ。
 次に出した時には、掌に財布が握られていた。中に入れていた札束も無事だ。水に落ちたせいでくしゃくしゃに縮まっているが、遠目からも一万円札が数枚重ねられていることがわかる。
 平林は瞬時に顔をほころばせた。前歯を見せて嬉しそうに笑う。
「み……見ろ! あったじゃないか!」
 そう言って、いかにも誇らしげに笑い続けた。
 尚人は顔を歪めた。

「――あなたは、気の毒な人ですね」

 穏やかに言ったつもりだが、平林の神経を逆撫でするには充分だったようだ。平林は胸の前で隠すようにお札を握る。
「私のどこが、気の毒だっていうのかね! 気の毒なのは、君の方じゃないか! この貧乏人の理想主義者め! ……この金は私のモンだ。私だけが生き残れる。悪いが君は、猿たちの餌食になって死ぬがいいさ」

 尚人は感情を乱すことなく、ただじっと平林のことを見つめた。
 薄くなった髪を振り乱し、なかば錯乱した表情を浮かべるこの初老の男に、尚人は心から哀れみを感じた。
 ――彼の人生における価値は、金だけなんだ。
 このジャングルで、野性のまま文明と切り離された生活を送る祖人達に金というものが意味を成すのかどうかさえ、平林は考える余裕がないのだ。物質における価値基準は、あくまで社会における規範でしかないことでさえ、彼は見失っている。
 保釈という言葉など、おそらくこの自然界には通用しない。それでも、保釈金さえあれば助かると本気で信じている平林が、尚人には気の毒に思えたのだ。
 不思議な気持ちだった。
 平林に対する憤りや苛立ちは、何故か微塵も湧かなかった。
 ひたすらに、彼を「哀れ」と感じた。

 ――出来るものなら、助けたい。

 尚人は、何故自分がそんなふうに思うのか、わからなかった。だが、皺が僅かに刻まれ、白髪の交じる髪を乱して狂喜乱舞するかのごとくはしゃぐ姿を見て、まるでそれが「何も知らない無垢な子供の姿」と重なってしまったのだ。

 ――肉体は六十代の男かもしれないが、彼の心は未だ、何も知らない幼子と同じなんだ……。

 尚人が、何とかして平林と共に逃げ出す手立てはないかと思案した――その時。
 足音が聞こえた。
 瞬時に緊張が走り、目の前で笑いながら踊る平林に向き直る。
「平林さん!」
 突如叫ばれ、平林は顔を向ける。尚人は指先を口元に宛て「……シッ、誰か来た」と囁くと、視線を牢の外へと向ける。
 格子の向こうにある闇から、三人の祖人が出てきた。二人は手に斧を持ち、一人は牢の扉に結んだ紐を外し始めた。
「ど……どこかへ連れて行く気なのか」
 怯えた目で平林が尚人を振り返る。尚人は返答することなく、祖人の行動から目を離さなかった。
 扉が開けられ、ひとりの祖人が入って来た。門の外には、斧を持つ祖人が威嚇するように立ちはだかっている。
 祖人は平林の前に立つと、両腕をとり紐で縛った。同じように、尚人の両手首も紐で縛る。二人が逃げられないよう互いの紐を繋ぎ合わせると、一方をひとりの祖人に、もう一方をもうひとりの祖人に結びつけた。
 これから自分の身に起こることを察した平林は、縛られた両手首を動かしながら声をあげた。

「ちょっ……ちょっと待ってくれ!」

 そう言うと、ポケットから札束を取り出して祖人の前に差しだした。
「これ、私らの国のお金。すごく値打ちのあるものだ。これをあげるから、変わりに私を助けてくれないか。――な?」
 三人の祖人は、互いに顔を見合わせた。しばらくして、祖人のひとりが徐に首を横に振った。
「お前達の死刑決めるのは、俺達じゃない。『神様』だ」

「か……『神様』だって?」

 素っ頓狂な声をあげた平林に、尚人が耳打ちする。
「さっき、酋長にあったでしょう。おそらく、彼が我々の死刑を決めると言うことです」
 尚人の説明に、祖人は顔を顰めた。
「無駄なお喋りはやめろ。今から、神様の使いのところへ行く」
 そう言って歩き出した。紐に引かれるようにして歩き出した平林は、気もそぞろで背後を振り返る。
「か……神様の使いに金を渡したら、命乞い出来るかな」
 真顔で質問する。どうやら、この期に及んでもまだ金の力を信じているようだ。
「――さぁ、どうでしょう。試したいなら、やってごらんなさい」
 尚人の答えに平林は満足したのか、小さく数度頷いた後姿勢を戻した。

神様選挙 - 最初のページに戻る
(C) 2012 Yura Shinozaki All rights reserved.