第24章 哀しき「こころ」
 セレブレイトと別れた後、ソラ達は黙々と森の中を歩き続けた。辺りはますます暗くなり、夜の訪れを感じさせる。足場もすっかり悪くなった頃、堪りかねてアークが声をあげた。
「――なぁ。今日はもう、この辺で休もう。足下が見えなくって危ないよ」
「そうだね」
 ソラが同意した途端、仲間達は崩れるようにしてその場に蹲った。
「ああ、しんど! あたい、実はもう限界だったのよぅ」
「あたしもだよ。大体、ニワトリは『鳥目』だからね。夜は苦手さ」
 やっとのことで訪れた休息に、みなホッと一息吐いた。しかし、その時。
「――おや?」
 アークが顔を上げた。
「あによ、どしたの」
「何か、聞こえて来ない?」
 
 確かに──何か聞こえる。
 リズミカルな太鼓のような音。

「どこかで祭りでもしてンのかしらね」
「――まさかぁ。だとしたら、この森には誰かいるってことじゃんか」
 
 地の底から響くような太鼓は、勢いづいたように鳴り続ける。ドゴッゴドゴッゴと一定に繰り返される低い音が、辺りの空気さえも振動させていた。
 何かざわざわとしたものが、ソラの中で過ぎった。
 それは、不思議な直感に近かった。音のする方へ行かなければならないという、突き上げてくる衝動。

「僕、様子を見てくる!」

 考えるより早く、ソラは飛び出した。
「ま、待ってよ! 僕も行くよ!」
 慌ててアークも走り出した。それに吊られてピピンとクックも飛び上がる。
「や、やぁよぅ! 置いてかないでよう!」
 仲間達は休息をいったん保留とし、ひたすらソラの後を追い始めた。

 闇の中をひた走ること数分。
 ソラ達は、突如開けた場所に出た。
 森をくりぬいたかのように広がる草原には、大勢の人影があった。中央に巨大な焚き火をくべ、周囲を影が覆っている。どうやら、あの太鼓の音はここから聞こえていたようだ。

「あ……あいつら、人間なの?」
 ピピンの問いに、ソラは緊張した面持ちで影を見つめる。
 火を囲う影達は、全身剛毛で覆われているようだった。顔も人間とは多少離れており、猿に近い印象だ。

「人間じゃないみたい……。でもたぶん、『限りなく人間に近い』と思う」

 ふとその時。
 何気なく周辺を見ていたクックが、表情を崩して叫んだ。
「ね……ねぇねぇ、あれ! あそこにいるのは、正真正銘『人間』じゃないかい?」
 震える手羽先が指し示す方向を見たソラ達は、みな愕然とした。
「ホントだ、人間だ!」
 大きな太い樹を前にして、二人の人間が立っていた。衣装からして、明らかに現代人である。ひとりは作業着を纏った小太りの男性で、もう一人は背の高い男性。二人とも腹の前に手首を重ね合わせ、どうやら縛られているようだ。
 炎が燃え上がって二人の顔を照らした瞬間、ソラは驚愕した。食い入るように見つめた後、瞬時に叫ぶ。

「パパ!」
「えっ!」

 仲間達は一斉に振り返った。
「な、何だよ。『パパ』って、どういうことだよ!」
 アークが尋ねるも、ソラは答えるだけの余裕がない。視線はパパに釘付けだ。

 パパこと尚人は、燃え盛る炎を前にして立ち尽くしていた。眼鏡は何故かつけていなかったが、ソラが見間違えるわけはない。見紛うことなく、あの優しいパパだ。少々理屈っぽいけれど、とても愛情深いパパ――でも、何故パパがここに?

「……未来ちゃんのパパなんだ。だけど、どうしてこんなところにいるんだろう」
「それよりさぁ、なぁんか良くない雰囲気じゃないかい? あいつら、あの二人のことをどうする気なんだろうね!」
 クックの言葉に、みなゴクリと唾を呑んだ。
「様子を見に行こう」
「うん!」
 ソラの呼びかけに、仲間達は疲れを忘れて走り出した。

 ソラが同じ空間にいるとは露ほども知らない尚人は、ただじっとその場に立っていた。
 目の前で燃える炎は火の粉を撒き散らし、周囲の温度をみるみるうちに上げていく。それに連れ、火を囲う男達の太鼓は、ますます激しさを増していった。

 尚人の隣には、ガチガチと歯を鳴らしながら震えて立つ平林がいた。これだけ激しく燃える炎を前にしていれば、恐怖を感じるのも当たり前だ。二人はこれから、「死刑」になるのだから。どんなことをされるかなど、想像するに難くない。
 ふと、二人の前に白い布を纏った祖人が現れた。
 「神の使い」だ。
 大きな木の実を繋げた首飾りを何重にも巻き、樫の木で作ったような杖を手にしている。顔は色とりどりに塗られ、彼が特別な存在であることを象徴していた。

 神の使いは、ゆっくり歩み寄ってくる。その雰囲気は、荒々しい粗野な印象を窺わせる祖人達とは格段に違った。どこか高尚ささえ感じる神の使いを、尚人はじっと見据えた。
「主らは、これから死刑になる運命じゃ」
 そう語る神の使いは、まるで人間のようだった。全身に剛毛がなければ、普通に人間でいてもおかしくはない。
「――あなたには、知恵がおありのようですね」
 尚人の呼びかけに、神の使いは視線を向けた。
「さよう。我は『神の使い』じゃ。そして、かつては主達と変わらぬ人間だった。だが、我だけではない。ここにいる者達は全員、かつては人間の姿をしておった。だが、神を見失い、故郷を忘れ、果てしない闇を彷徨っているうちに、人の心を失ってしもうた」

 尚人は辺りを見回した。
 そこにいる祖人達は、確かにみな無表情だった。ただ一点だけを見つめ、太鼓を叩き続ける。そこには潤いもなければ、同情という名の思い遣りさえない。ただ、『生存する為だけ』に存在した。
「神は、我々人間を見捨てたのじゃ。我々が『正しく神を信仰しなかった』が故に」
「――どういうことです?」
「神に背き、文明を築き上げ、神の創りあげた自然に背いた。人間達の傲慢さを見過ごし、争いに明け暮れ、身勝手に振る舞ったからじゃ」
「――それは確かに、一理あると認めます。ですが、それはあなた方だけの罪ではない。仮に神がいるとしたら、そのようなことを怒っているとは、到底思えないのですが」
「怒っているか否かは、主が決めることではない。神のみが決めることじゃ。我々はここに留まり、神の世界に戻れることを信じ、こうして神を祭っておる。そうすることでしか、我々を引きずり込もうとする闇との均衡を保つことが出来ぬからじゃ」
 尚人は神の使いを見据えた。容貌は原始人そのものだが、語る言葉は理知的だった。否、むしろ賢者に近いものさえ感じさせる。
 尚人は不思議な気持ちになった。この神の使いが自らを「使い」と言わしめ、ここにいる祖人達を支配しているにせよ、そこに私利私欲を感じられなかったからだ。むしろ、心の支えを失った祖人達を励まし、統率しているかのようにさえ見える。
 だが、そんな国――どこを探したところで現実社会には存在しないだろう。少なくともはっきりしているのは、ここが尚人達のいた島ではないということ。愚問を承知で、尚人は尋ねてみた。
「――ここは、一体どこなんです」
「愚かなことを。ここがどこかなぞ、お主が一番よくわかっておろう」
「いいえ、わかりません。教えて下さい」

 食い下がる尚人に、神の使いは視線を向けた。しばらくして徐に語り出す。
「ここは、数ある次元の中の『ひとつの世界』じゃ。多くの者は肉体のある状態で来られぬ故、『あの世』と呼ぶ者もおる」
「あ……あの世だってぇ!」
 平林が素っ頓狂な声をあげた。
「……っていうことは、も、もう私らとっくに死んじゃって――」

「騒ぐな! 黙っておれ」

 神の使いが一喝した。
「主らが事実死んでおるかどうかなど、ここにいる祖人共には関係ない。祖人共は、森を破壊し、山を燃やし、空や海を汚してきた主らを処刑する為、ここに集まっておる」
「それは、私達のことですか?」
「他に誰がおる」
「あまり言い訳がましいことを言いたくはないですが――僕は生前、自然を守る為だけに生きてきました。僕の人生における目標は、『人間と自然が共存共栄出来る未来を創ること』、ただそれだけです。そして、僕と同じ志を持つ人達は、今の人間界に大勢います。それどころか、年々増えていっている程です。――確かにかつて、人間は自然を傷つけたかもしれない。今でも、それは進行中かもしれない。ですが、人間には反省する為の知恵や心もある。人間であるというだけで、自然を傷つけた罪深い存在ということには、ならないのではないですか?」

 尚人の言葉に、神の使いは顔を伏せた。考え込むような仕草をした後、再び顔をあげる。
「お主は確かに、そのような人生だったかもしれぬ。お主が言うように、人間すべてが悪いわけではないやもしれぬ。しかし、この男は違う! この男は、自然を切り開き、私腹を肥やしてきた」
 平林は何も言えない。
 質問の意図を汲める程の冷静ささえ、失っていたからだ。すっかり錯乱してしまっている。
「だ、だ、だって――わ、私らすでに死んでるのに、またここで死刑って、い……一体、どういうこと?」
「一度死んでいたとしても、何度でも死ねる。果てしなく主らは、業火にあぶられ処刑を繰り返されるのじゃ!」

 その時、神の使いの形相が変貌した。
 クワッ……と目を見開き口を開けた中に、鋭い牙が見え隠れする。同時に炎が勢いよく天を焦がし、太鼓の音は一斉にリズムを早めた。

「この炎を見よ! これぞ、地獄の炎、煉獄の業火じゃ! 我らにとっては主らの魂を燃やし尽くし消滅させる、聖なる炎じゃ!」

 ゴォーッと音をたて、炎は空を焼き尽くす勢いで広がった。
「い、いやだぁ――――っ!」
 平林は絶叫した。暴れる平林を、二人がかりで祖人が抑えつける。

「こ、殺さないでぇ、殺さないでぇ! 何でも言うこと聞くからぁ――」

 慟哭しながら叫び続ける。涙と鼻水で、顔はぐしゃぐしゃに濡れていた。
「無駄なことよ。主が命乞いしたところで、主の罪は変わらぬ」
「い、い、いやだぁ――――っ」
 地面に抑えつけられ、藻掻くように足をばたつかせる平林を、尚人は複雑な表情で見つめていた。心に廻る思いはさまざまにある。しかし、どう整理していいのか――さすがに尚人もわからなかった。
 ふと。平林は突然動きを止めた。はたと顔をあげると、瞬きを繰り返す。自分のポケットに切り札があることを思い出したのだ。

「そ、そうだ!」

 慌ててポケットをまさぐる。紙幣を取り出すと、両手で神の使いに差しだした。
 神の使いの眉根が、僅かに寄せられる。表情の変化を見て、平林は手応えを感じた。
「こ……これを、さしあげます。だから、お願い。い、命だけは助けて――」
 神の使いは、平林の掌に載る紙幣を見つめていた。が、徐に指を伸ばす。
 平林の顔がほころんだ。情状酌量の余地がある可能性に期待を託す。
 しかし、神の使いは平林の掌から紙幣を奪った途端、後方にある炎の中へと投げ込んだ。
「あ――――っ!」
 平林が絶叫した。目の前で紙幣はパラパラと散り、ただの紙切れとなってしまった。灼熱の火にくべられた途端、燃え屑と化していく。
「あぁ……」
 力なく項垂れた。命を繋ぐはずの切り札が、これで消え失せてしまった。いっきに窶れてしまったような印象さえ受ける。

「――主らは、いつもそうじゃ」

 神の使いが低く告げる。  
「勝手な生き物よの。主らの価値だけが崇高だと思い込み、すべてはその元で支配出来ると勘違いしている。哀れな生き物じゃ」
 神の使いが語る言葉も、平林の耳には届いていないようだった。だらしなく口を開け、希望の断たれた状態にただただ呆然としていた。
「その者を立たせよ! 聖なる火の中に放り込め! 永遠にここから出られぬよう、魂までも燃やし尽くすのじゃ!」
 神の使いが高らかに叫ぶと同時に、祖人達も甲高い声を挙げた。
 処刑を前に、太鼓はリズムを変えた。荒々しいまでに空気は高鳴り、辺りの闇を焦がす勢いで火の粉は高く舞い上がる。
 二人の祖人が平林の腕を掴んだ。引きずるようにして移動した――その時。

「ちょっと待ってください!」

 尚人が叫んだ。
「あなた方、かつては人間だったのでしょう? 同じ人間であったにも関わらず、その罪を彼だけに背負わせるなんて、あなた方こそ身勝手じゃないですか! 彼が罰せられるというのなら、あなた方も同様に罰せられるべきでしょう!」
 尚人の言葉に、神の使いは姿勢ごと向き直った。平林を引きずる祖人達も、その場で足を止めて振り返る。
「……我々は、もう長いこと罰せられてきた」
 神の使いが静かに語った。
「孤独に追いやられ、愛さえも見失い、ただ闇の中を我々は放浪し続けたのじゃ。それもこれも、すべては人間が罪深き故。人間が、身勝手に世界を滅ぼそうとしている故! 人間自らが造り出した『断罪の神』により、我らは苦しめられてきたのだ!」
「――確かに、宗教は多くの神を語ってきた。その中には、異なる種族に厳しい神もいたでしょう。しかし、本当に世界を創った存在が、我々を生んでくれた親のような存在がいるのだとしたら――その存在が人間に罰を与えるなんて、僕には思えない」
「何を根拠に、そのようなことを言う」
「自分も『親だから』です。僕は、自分の娘の為を思って叱ることはあっても、罰を与えようとは思わない。罰は、成長を促すものではないことを知っているからです。ちっぽけな人間でさえそのような愛情を持っているのに、この世界を創造した偉大な存在が、そのことに気づけないはずがない」
「違う! 神は、永いこと我々を罰した。闇の中に閉じこめ、責め苦を負わせ、孤独へと追いやった。神は、信仰せぬ者を排斥したのじゃ!」
「それは、あなた方が勝手に産み出した妄想の神だ!」
「主の言っている神こそ、偽りの神じゃ!」

 神の使いが叫んだ瞬間。
 祖人達の影が揺らいだ。大きく伸びると、不透明な闇が辺りを包む。

 ――猛霊が、姿を現した。

 神の使いの形相は、益々歪んでいく一方だ。しかし、その表情がどこか憂いを抱いているようにさえ、尚人には見えた。
「『人間に罰を与える神などいない』とな! 面白いことを言う。だとしたら何故、我々はこのように永いこと闇を彷徨わなければならなかった! 何故、孤独にあえぎ、苦悩に耐え、愛に枯渇しなければならなかった!」
「それは、あなた方が勝手に心を閉ざしていただけだ。今の状況は、あなた方が自ら生みだしたものでしかない」
 尚人は巨大な闇となりつつある神の使いに向かい、叫び続けた。
「あなた方は孤独の中に自分を追い込み、差し伸べられる手をすべて拒否していただけに過ぎません。あなただって、人間として生きていた頃、陽の光に暖かさを感じたことがあったでしょう。果てしない青空に、希望と安らぎを感じたことがあったでしょう。風の囁きに、ふと故郷を思い出すことだってあったでしょう。世界にそれほど多くの愛が満ちていながらも、それらをひたすら拒んできたのは、あなた方だ!」
「小賢しいことを!」
 そう叫んだ瞬間。
 神の使いは、全身から黒い気を放った。
 それは瞬く間に膨らみ、辺りを包みこむ。
 猛霊となって揺らぐ影を見据えても、尚人はたじろぐ様子はなかった。ぐっと唇を噛みしめ、その場に佇んだ。

「……愚かな人間よ。そこまで愛を知っていると断言するなら、そこにいる『小さき者』の為に死ねるか」

 猛霊は、そう言ってある方向を指さした。
 尚人が視線を向けた先には、平林の姿があった。四肢を折り曲げ、小さく蹲っていた平林は、恐る恐る尚人を見上げる。
 その表情は、想像を絶する恐怖の前に怯える幼子のようだった。すがるように自分を見つめる平林を前に、尚人は突き放すことなど出来なかった。
 徐に頷き、こう告げる。

「――わかりました、いいでしょう。あなた方がそれを望むというのなら、彼の代わりに、私の命を捧げます」

 尚人の言葉に、平林は目を見開いた。「どうして?」と目で訴える平林に向かい、尚人は優しく微笑み返す。
 半分猛霊となりかけ形の崩れた祖人が尚人に近づき、誘導するように移動する。尚人も、燃え盛る炎に向かってゆっくり歩き出した。
 猛霊達は、喜び勇むように声をあげた。そして、彼らの「賛歌」を口ずさんだ。


 人間滅ぼせ ヘイヘヘイ 

 奴らを蹴散らせ ホウホホウ 

 我らを殺し、世界を殺した 

 人間を消せ ヘイヘヘイ 


 人間を殺せ ヘイヘヘイ 

 奴らは敵だ ホウホホウ 

 地球を殺し、未来を殺した 

 人間に罰を ヘイヘヘイ 


何度も聴いた大合唱を前に、ソラ達は硬直していた。目の前で、ゆっくり尚人が炎に近づいていく。ソラは激しくかぶりを振った。
「ど……どうしよう、パパが殺されちゃうよ!」
「そ、そんなこと言ったって……。僕達じゃ、あれだけの数の猛霊、相手に出来ないよぅ」
「ああ! こんな時、セレブレイトがいてくれたら――」
 クックは祈るように手羽先を組んだ。
 ふと、その時だ。
 突如、ピピンがぺたりと垂れたままの耳をピクピク動かして叫んだ。

「あたい、いいコト思いついた!」

 そう言って飛び跳ねる。
「何? どんな案?」
「あたいらが神様になるんだわさ!」
「…………」

 ――突拍子もない意見だった。

「か……神様ぁ?」
「あそこにいる猛霊達、みんな神様に従ってるンでしょ! だから、あたいらが神様になったフリして、あいつらにお告げするんだわさ! 『その者を殺すなぁ……』ってね!」
 ピピンは茶目っ気ある表情でウインクした。
「そ……そんな上手く行くかなぁ」
「やってみなけりゃわからないわさ! さ、みんな行くわさ!」
 そう言うと、いつになく積極的なピピンは、みんなを誘導するようにして走り出した。

 ドゴドゴドゴドゴ、ドゴドゴドゴドゴ……
 尚人が炎に近づくにつれ、太鼓の音はリズムを早めていった。
 それはまるで、尚人の心臓の音をあらわしているかのようだ。いくら自ら処刑に甘んじたとはいえ、恐怖を完全に拭えるわけではない。尚人の目の前で、炎は勢いよく燃え盛っている。全身に火が燃え移りそうな程の熱気を感じながら、尚人はその場で立ち止まった。

「――さぁ、飛び込め! 愚かな人間よ」

 猛霊と化した神の使いが、尚人に告げる。
 尚人は息を呑み、炎を見据えた。
 地獄の業火とはまさにこのことだと思える程に、炎は激しく燃え続ける。
 しかし、尚人の心は不思議と穏やかだった。そして、死を目前とした今となっては、恐怖さえなくなった。ただ静かに、自分のするべき行為を見守る、別の自分が存在した。
 尚人は目蓋を閉じた。
 そして、心の中で呟く。

 ――未来。約束を守れなくてゴメンね。
 パパがいなくても、今までどおり明るくて素直な、優しい未来のままでいてくれ。
 そして祥子。
 不甲斐ない兄で、本当にすまなかった。未来のことを、くれぐれもよろしく頼む。

「みんな、さようなら」
 そう呟き、覚悟を決めて炎に飛び込もうとした――その時。


「まぁてぇ――」


 間の抜けた声が響いた……。
 何事かと振り返った尚人と神の使いの前に、奇怪な存在が姿を現した。

 それはまるで、白い巨大なお化けのようだった。
 ひょろひょろと揺らめきながら、ゆっくり猛霊達に近づいていく。
 あまりのことに、猛霊達も愕然とした。あんぐりと口を開ける猛霊達の前に、奇妙な白い物体は歩み寄ってきた。

「――何者だ、主は」
 神の使いが尋ねる。白い物体はどことなく不安定な様子で、ヨロヨロしながら答えた。
「か、か、か……『神様』じゃ!」
「神様じゃと……」

 猛霊達がどよめいた。同時に、周囲もざわつく。
 そこにいた尚人と、そして平林も、驚いたように目の前の物体を眺めた。
「あ、あれが神様?」
 白い奇妙な神様は、ゆらゆらと揺れながらこう告げた。

「そ、そ、その者を放てぇ――」
「何ですと」
 神の使いが叫んだ。
「何故、こいつらを救おうなどと」
「い、い、い、いいからぁ、放てぇ――」
 あまりに様子がおかしい神を、猛霊となった使いは訝しそうに見据えた。静寂と緊張が続き、神はフラフラとまるで酔っぱらいのように蠢いた。

 神の正体。
 言うまでもない、ソラ達だ。
 一番土台をソラが担い、その上にクックが、そしてピピンがしゃがみこみ、一番上にアークが立っていた。まるでブレーメンの音楽隊のように四匹は重なりあい、白い布を被って『神』を演技しているのだ。

 ――とは、いうものの。
 それはさすがに、無理があったようだ。先程からフラフラしている神の動きは、クックやアーク、ピピンの体重に耐えきれないソラの足下が、覚束ないせいである。

(ちょ……ちょっとソラ! 少し、じっとしててよ!)
(そ……そんなこと言ったって、みんな重くて耐えられないんだもん!)
(ちょっと! 失敬なこと言わないでちょうだい! あたいは重くないからね! クックおばさんが重いんだわさ!)

 神様から聞こえてくるコショコショ話に、猛霊となった神の使いは怪訝そうに問うた。
「……本当に、我らの神なのか」
「あ……あたりまえじゃ。わ……我こそが神じゃ!」
 神を演じるアークが、裏返った声で必死に弁明した。
「ならば、その証拠を見せてみよ!」
「しょ……証拠?」
 それには、さすがにソラ達も困ってしまった。

(しょ……証拠とか言ってるよ。どうする?)
(ど……どうするったって、今更引き下がれるわけないだろ! 何とかおし!)
(ちょっと、あんた達文句ばっか言ってないで、いい案出しなさいよね!)
(ねぇ、みんな重いよぅ……)

 フラフラする神様から、再びコショコショ話が聞こえてきた。猛霊が何かを確信しかけた、その時。

 突如、平林が立ち上がった。目の前にいる神様にしがみつく。
「お願い、助けてぇ!」
「うわぁ――っ!」

 すべては、一瞬の出来事だった。
 躊躇する猛霊達の前に、神は正体をさらけ出した。白い神は布を引きはがされ、一瞬にして分裂し、四匹の小動物と化したのだ。
 ソラ達を覆っていた布が、ハラハラと宙を舞う。その下で、ソラ達は腰をついて「いたたたた……」と唸っている。四匹が立ち上がる隙も与えず落ちた布に包まれ、じたばたと藻掻いた。
 蠢く小さなものたちを見て、平林は唖然とした。何が起こっているのかよくわからないが、呆然としたまま布を外した。

「ひゃぁ――、助かったぁ。おじさん、サンキュウ」
 平林はポカンと口を開けていたが、状況を理解した途端悲鳴をあげた。
「ウ……ウサギが喋ったぁ!」
 平林は驚きすぎて抜けた腰を引きずりながら、必死に逃げ出した。
 一方、炎の前に立つ尚人は、四匹の中にいる子犬に視線を注いでいた。目を細め、その存在を確認しようとする。
 記憶が重なった瞬間、表情を崩した。

「ソラ! まさか、お前……ソラなのか!」

 ソラは瞬時に振り返った。
 燃えたぎる炎を背に、パパがソラに向かって走り出そうとしている。
「パパァ!」
 ソラも走り出そうとした。――しかし。
「うわぁっ!」
 ソラがはじき飛ばされた。猛霊が、尚人とソラの前に立ちはだかる。
「生意気な動物め」
 猛霊となった神の使いは、ゆらゆらと揺らめきながらソラ達に近づいてくる。
 万策は尽きた。これだけ猛霊に囲まれてしまっている以上、ソラ達に闘う術はない。その上、ここにはセレブレイトもいないのだ。
 四匹は悲鳴をあげて身を寄せ合った。
「ンもう――! こんな時、セレブレイトがいてくれたら――」
 ピピンが叫んだ――その時。

 遠く離れた崖の上に、影が見えた。四肢で大地を踏みしめ、じっとこちらを見据えている。

「セ……セレブレイトさんだ!」

 紅い炎が周囲を照らす中、セレブレイトは一段と濃い闇色の毛を輝かせ、じっとこちらを見つめていた。
 黄金色の瞳が、まっすぐソラに向けられている。
「よ……よかったぁ! セレブレイト、やっぱり来てくれたんだぁ!」
 アークが安心して胸を撫で下ろす。
 しかし、それも束の間だった。これだけ多くの猛霊達が蠢いているにも関わらず、セレブレイトは佇んだまま、一向に闘おうとしないのだ。あまりに長いことみじろぎもせず立ちすくむセレブレイトを見て、ピピンが怪訝そうに耳打ちする。
「ねぇねぇ。セレブレイト、一体どうしちゃったのさ。全然闘おうとしないじゃないさ」
 ソラも、同じことを不審に思っていたところだ。
 周囲の猛霊達が蠢き始めた。「うぅ――」という低い唸り声に、四匹は背筋を凍らせる。
「ちょ……ちょっと、ソラ! セレブレイトに早く何とかするよう、説得しとくれよ!」
 クックの呼びかけと同時。

 ――ソラ。

 それは、セレブレイトの呼びかけだった。
「セ……セレブレイトさん!」
 あまりにも近くで聞こえたので、ソラは周囲を見回した。しかし、どこにもセレブレイトはいない。遠くに立ったまま、直接心に呼びかけてきているのだ。

 ――ソラ。お前は、こいつらを倒せるか?

「え?」

 ――こいつらの孤独を知り、哀しみを知った上でも尚、こいつらを敵と思えるか? 人間達の争いに巻き込まれ、疑い、不安、絶望のどん底に陥れられたこいつらを、お前は闇に葬りされるか?

「な……何を言っているの?」
「ねぇ、どうしちゃったのさ!」
 ピピンがソラを揺さぶる。どうやら、セレブレイトの声はソラにしか聞こえていないようだ。
 ソラは、遠くにいるはずのセレブレイトの表情が、まるで目の前に立つかのようにはっきりと感じられた。それは、哀しみに憂い、あらゆる者達の絶望を代弁しているかのような表情だった。セレブレイトが浮かべている表情を、ソラは一度だけ見たことがある。
 そう。愛する猫「ユキ」を失った哀しみをソラに話した、あの時に……。

 ――俺は、こいつらを倒すことが出来なかった。こいつらの孤独を、俺は理解出来たからだ。こいつらは、世界に満ちる幸福から見捨てられたんだ。
 それは、俺も同じだ。こいつらは、俺と同じ存在。同じ憎悪を抱えている。

「で……でも、猛霊とセレブレイトさんは違うよ! 猛霊達は、たくさんの悪いことを重ねてきた。今だって、未来ちゃん達の世界を滅ぼそうとしてる。神様を殺して、自分達が代わって世界を支配しようとしてる。セレブレイトさんは、そんな猛霊と今までずっと、闘って来たじゃないか!」

 ――そう。俺は、そうやって闘う振りをして、自分の身をこいつらの隠れ蓑にしてきた。人間の世界に憎悪が満ちるたび、猛霊達を増殖させる為、奴らを守っていたんだ。

「ま……守っていた?」

 ――俺は、自らの体に奴らの憎悪を取り込み、新たな怒りを造りだした。「猛霊を統べる王」となって、すべてを破壊することを誓った。
 それこそが……。

「――それこそが、俺にとって『人間達への復讐』だ!」

 驚くべき言葉に、ソラの目が見開かれる。

「……そ……そんな」

 聞き違いだと、そう思いたかった。
 あまりにも衝撃的な告白に、ソラはただ愕然とするだけだ。ソラを見守っていた三匹が、心配そうに覗き込む。
「……ねぇ、さっきから一体どうなっちゃってんのさ。あんた、誰と話してんのよ。何で、セレブレイトは闘ってくれないんだわさ」
 しかし、ソラは――真実を知ったソラは、首を横に振った。
「違う……違うんだ」
 ソラの瞳には、涙が浮かんでいた。
 初めて会った時から、ずっと憧れていたセレブレイト。彼の正体を知ったソラの心には、哀しみと絶望以外、何もなかった。

「セレブレイトさんが――ううん、セレブレイトさんこそが『猛霊の王』だったんだ!」

 その瞬間。
 セレブレイトの全身から、黒い気が噴き上がった。
 ブワッと一面に広がり、ゆらゆらと煙のように立ち上っていく。
 薄暗い気は、やがて猫のような影を形取った。「ぐみゃぁ――」と地の底から響くような不気味な声に、猛霊達は吊られるようにして勢いよく引き寄せられていった。
 猛スピードで蠢く猛霊達により、辺りは突風が吹き荒れた。尚人も平林も風に煽られて倒れ、地面に這いつくばる。
 ソラ達も例外じゃない。みな吹き飛ばされそうになる中、仲間達の手を取り合って必死に耐えた。
 猛霊はひとつにまとまり、目の前には大きな黒い闇が出来ていた。そこにはすでに、セレブレイトの姿はなかった。あるのはただただ底深い闇の穴だけで、セレブレイトの体は、もう猛霊に呑み込まれてしまっていたのだ――。

「セレブレイトさん!」

 ソラが叫んだ。
 ソラは未だ、セレブレイトが猛霊だったなんて信じられない。
 未来のいる世界を滅ぼそうとしているなんて、すべてを壊そうとしているなんて、信じられない。
 無口で、とてもクールだったけれど、でも、本当はとても優しいことをソラは知っている。ガナルダ仙人の庵で、セレブレイトはソラを見守り、導いてくれた。ソラにとってセレブレイトは、兄のような存在だった。

「セレブレイトさぁ――ん!」

 悲痛な叫び声が響いた。
 次の瞬間。
 世界が「ぐにゃり」と歪んだ。
 木も、森も、大地も、すべてが猛霊に呑み込まれようとしている。ソラ達が立つ場所に、まるでブラックホールのような異次元の穴が開いた。
「わぁ――――っ!」
 尚人も平林も、為すすべなく四匹共に闇の中を落ちていった。
 下に落ちているのか、上に向かっているのかもわからない中、ソラの中で何度も同じ言葉だけが繰り返された。

 ――嘘だ! 嘘だ! セレブレイトさんが猛霊の王だなんて、そんなの嘘だ!

 嘆き哀しむソラの前で、様々な光景が過ぎっていった。
 それは、猛霊達が引き起こしたたくさんの事件だ。
 闇のような暗雲と、狂ったように吹き荒ぶ風。人間達の住まいは強風を受け、まるで積み木のように崩れていく。
 暴れるような濁流と化した河、崩れる山、津波、スコールのような大雨。そして、それだけではない、人間達が起こす事件、殺人、喧嘩、すべてにおいて猛霊が絡んでいた。
 ――その数々の事件を起こしたのが、セレブレイトさんだったなんて。
 ソラは哀しみに暮れたまま、どこにともなく落ちていった。
 やがて、意識も遠のいていく。闇に同化するようにして、心が消えかった――その時。

 気を失ったソラの胸のあたりから、光がふわりと浮かび上がった。金色の優しい光は、ソラの周りを飛び交いながら語りかける。

「ここまで来てくれて、本当にありがとう。『彼』を見つけてくれて、本当にありがとう。ここから先は、私が誘導します――」   

 その言葉と同時に。
 ソラと仲間達、そして尚人と平林の体が金色に輝いた。
 次の瞬間、小さな粒子となって消えていった。

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