第26章 魂の故郷、そして、生まれ出ずる世界
 小鳥の唄が聞こえる。
 ソラは耳をぴくぴくと動かすと、突如飛び起きた。
 すると、どうしたことか。先程まで周囲を満たしていた液体はどこにともなく消え、ソラは草原の上で横たわっていたではないか。
 辺りを見回すと、そこは青空と草がそよ風に揺れ、小鳥達が元気に飛び回っていた。
 元いた世界とさほど変わらない景色だが――ソラは不思議とここが「どこか違う」と感じていた。空気はとても濃厚で、その上、とても優しかった。小鳥達も生存の為だけに唄うのではなく、生命の存在を尊んでさえずっているかのようだ。

「ここが……神様の世界?」

 ソラは首を傾げた。
 嘆きの都で動物達が言っていたような尊厳を、この世界から感じられない。むしろ、とても優しくて、暖かで、誰をも包みこむ大きな懐の深さを感じさせる。

 ソラは、フラフラと歩き出した。
 まだ、自分に何が起こったのかを理解しきれていない。ピピンやアーク達はどうしただろう。それに、パパは? ――そして、セレブレイトは?
 しばらく歩いたソラの耳に、呼び声が聞こえてきた。「おーい」と呼びかけるその声に聞き覚えのあったソラは、瞬時に顔をあげる。
 するとそこには、パパこと尚人と、仲間達の姿があった。

「ソラ!」
「ソラだ、ソラがいたよ!」
「ソラぁ――!」

 みんなが笑顔で走ってくる。
「パパ! みんな!」
 ソラも、みんなに向かって走り出した。
 誰よりも一番早く、ソラに走り着いたのは尚人だ。尚人はソラを抱きあげ、天高く掲げた後、力いっぱい抱き締めた。 

「よかった、ソラ! 今まで一体、どこに行ってたんだ。本当の本当に心配してたんだぞ!」
 そう言って、何度も頬ずりをする。
「――ごめんなさい、パパ。だけど、僕にも何が起こったのか、よくわからなかったんだ」
「ああ、それはそうだろう。僕にだって、よくわからないぐらいだからな。それよりも、早く未来達の元に帰ろう。きっと心配しているに違いない」
 ソラはしばらく躊躇った。そして、小さく首を横に振る。
「そうしたいけど――その前に、しなければならないことがあるんだ」
「しなければならないこと?」
 ソラは頷いた。

「神様に会って、人間達を助けてもらうんだ」

「――人間を?」
「うん。実は、猛霊達が神様にとって代わろうとしているんだ。そして世界を滅ぼそうとしてる……」
「――何だって?」
 尚人は眉間を寄せた。信じ難く、それでも受け入れようとする複雑な表情を浮かべる尚人を見上げ、ソラは切々と語った。
「だけど、僕はさっき、その猛霊を統べる王となっていたのが僕の親友――セレブレイトさんだってことを知ったんだ。神様に会って人間を救って欲しいけど……同時に、セレブレイトさんも助けて欲しいんだ。――だって、セレブレイトさんは悪くないんだよ! セレブレイトさんは生きている間、人間達にたくさん傷つけられたから、それで、憎悪に駆られて猛霊となってしまっただけなんだ!」

 ソラは必死に訴えた。
 すぐには受け入れられないような現実離れした話を、尚人は真剣に聞いていた。
 ――現実。
 そんな言葉に、どれほどの意味があるだろう。
 目の前に広がる光景がすべてリアルなものであれば、どんな現象であれ、それはそこにいる者達にとっての現実なのだと、尚人はそんなふうにも思う。

 先程から目をきょろきょろ動かしてばかりの平林が、恐る恐る尋ねた。
「か、神様だって? この世界に、神様がいるのか?」
「――この子達の説明からすると、そういうことのようですね」
「ま、まさかぁ――」
 平林は疑っている様子だ。
「本当かどうかなんて、今は論じている暇はありません。とにかく、先に進むしかないようです」
 静かに語った尚人の言葉に、ソラは目を見開いた。
「パパ。僕の言うこと、信じてくれるの?」
 どこか不安そうな表情で自分を見つめるソラに、尚人は優しく微笑みかけた。
「当たり前だよ。ソラの言うことなら、僕は信じる」
 はっきりと――それでいて愛情を込めて告げられた言葉に、ソラは嬉しそうに笑った。

 ソラ達は、尚人と平林を連れて、『神様』を探して歩き出した。
 そこに広がる光景は、美しくて自然に溢れていた。青く澄んだ空に、豊かな緑、新緑の丘、時折吹くそよ風は、花の香りを含んでいた。
 平林が意外そうに呟く。
「神様がいる……ということは、ここは天国ってことなのかね?」
「たぶん――そういうことじゃないでしょうか」
「わ、私がイメージしていた天国と、だいぶ違うようだ。天国っていうのは、蜂蜜酒のような水が流れ、金色に染められた森。そして、絶世の美女である天女達が舞っているようなイメージだったが」
「天国が心象風景だとしたら、きっとそれぞれに応じた世界となるのでしょう。ちなみに、僕はここが天国だと言われて何の違和感もないですよ。自然に溢れ、自由で、それでいて穏やかで、どこか秩序だっている――その上、とても優しい」

 二人がそんなふうに話している間。
 ソラが、ふと足を止めた。
 歩き続ける一行の前に、大きな樹が姿を現したからだ。見覚えある樹を前にして、ソラは呆然と佇む。
「どしたん?」
 ピピンが振り返った。
「あの樹……。僕、海の中で見た。あの樹に引き寄せられるようにして、ここに来たんだ」
 ソラの言葉に、仲間達は一斉に「僕も!」「あたいも!」「あたしもだよ!」と叫んだ。みなが同じ樹を見てここに引き寄せられた事実を知り、尚人は興味深げに呟いた。

「――だとしたら、あの樹が『神』なのかもしれない」
「樹が神様ぁ?」
 ソラ達は素っ頓狂な声をあげる。
「もっと近くに行ってみよう。何か、わかるかもしれない」

 近づけば近づくほど、その樹がとても大きなものであることがわかった。
 多くの森や草原、山を歩いて来たけれど、これだけ大きな樹を人間界では見たことがない――尚人はそんなふうに思う。
 樹は草原の中央にそびえ立ち、大きく枝を広げていた。枝には緑の葉が茂り、豪華な衣装を纏っているかのようだ。青空を従えて立つその姿は、とても優しく、かつどこか偉大さを感じさせる。

 ソラ達は、ただただ呆然とその樹を見上げた。
 樹は、光を受けて枝をサラサラと歌わせている。太陽のない世界で、思えば樹そのものが光輝いているかのようにも見えた。幹にはリスなどの小さな生命達が無邪気に遊び、風にそよぐ花々は、樹に見守られながら歌っているかのようだ。

「これが――神様?」

 誰ともなく、そう呟いた。
 確かに、そう感じても不思議ではなかった。
 樹はただ樹としてあるのではなく、数多の記憶と想いを携え、世界を見守っているかのようだった。世界のすべてを知っているようであり、世界の誕生を知っているかのようでもある。
 語りかけることさえ出来ず、ただ佇むソラ達の前で、ふと声が響いた。

「――おかえり。我が子達」

 低くて、それでいてとても優しい声だった。
 大地からしみ出るような、空気を全部震わせるようなその声に反応し、ソラは思わず身を乗りだした。
「あなたが……あなたが、神様なの?」
 ソラの問いに、樹は「フォッフォッフォッ……」と笑った。どこかで聞いた笑い声だと、ソラはそんなふうに思う。
「君達が『神様』を探してここに来たのは知っているよ。でもね、生憎『神様』という存在はいないんだ」
「どこかへ行っちゃったの?」
「いいや。最初から『いない』。少なくとも、猛霊達が言うような『世界を滅ぼした人間の神様』という存在は、どこにもいないんだよ」
「では――世界を生んだ存在は? 全生命の源となった存在は、どこにおられるのですか?」
 尚人の問いに、樹は「そうさなぁ」と呟く。
「全生命の源となったものを、君が『神様』と思うのであれば――それは、『ここ』だ」
「――ここ?」
 ソラ達はみな一斉に顔を見合わせた。
「そうとも。それは『ここ』――ここにあるすべての存在が、その源だ」
「ということは、この花も、小鳥も、虫達も、みんな?」
「そう。みーんな」

 ソラは深く息を吸った。あまりに壮大な言葉を前にして、思わず数歩後退りをする。
 言われてみれば、確かにそこは生命に溢れていた。
 樹の周辺には森があり、時折鹿が顔を覗かせる。蝶は互いを追いかけ回し、小鳥は高い声で唄を歌う。
 ――そうだ。知恵蔵さんが、こんなふうに言ってたっけ。動物達で恨みを持たない者達は、みな美しい世界へ還って行ったと。それが、この世界なのかもしれない――そんなふうに、ソラは思う。
「ここに、人間はおらんのだな」
 平林が情けない声で呟く。
「いいや。人間だっていっぱいいるとも。ただ、違う姿をしているから君達には見えないだけだ」
「どういうこと?」
「この世界は、自在に姿を変える。いっときたりとも、同じ姿をしていない。互いに粒子がとけあって、それぞれ望んだ個をつくる。そして、その一部は君達の世界へ旅立つのだ」

 ふとその時。
 爽やかな風が吹いたと思うと、同時に空が赤く染まった。夕焼けのようにあかね色に染まっていく空を見上げ、ソラ達はポカンと口を開けた。
「――ああ。『旅立ちの時』が訪れた」
「旅立ち?」
「そう。この世界の分身、この世界の子供達が、新たな人生に向けて旅立つのだ」

 そう告げた瞬間。
 たんぽぽのような花の種が、一瞬にしてあかね色の空に舞い上がった。
 地平近くが真っ赤に染まり、崇高な紫が包みこむ空へ向かい、白い綿ぼうしが一斉に旅だった。それはやがて、星々のように散らばっていく。その光景があまりに美しすぎて、ソラ達はただ呆然と見つめていた。

「――さあ、行くがよい。新しき生命達よ。自ら望んだ環境に根をおろし、思い思いの花を咲かすがいい」

「自ら望んだ環境?」
 尚人が問いかけた。
「生命――いわば、魂というのは、誕生する時に環境を選ぶのですか?」
「勿論そうだよ。気まぐれに動くようなことは、まずない。望む生き方を思う気持ちがこの世界で結晶化し、その経験を望む粒子達がひとつの生命を築き上げる。そうして、地球に根をおろし、人生という名の花を咲かせるのだ」
「わ……私も、そうだったのか?」
 平林が問うた。
「そうだよ」
「し、しかし――私は、私の人生で何一つ望んだものを手に入れた試しがないぞ」
「それは、おじさんが『忘れてしまったまま』だからだよ」
 そう答えたのはソラだった。ソラは、凛とした表情で平林を見つめる。
「……僕、人間になってみて、初めてわかったんだ。人間社会の中で、いろいろな規約だのルールだのに縛られているうちに、本当の目的を見失ってしまう。毎日があまりに忙しすぎて、周りの声があまりに多すぎて、自分と向き合うことをしなくなってしまうんだ。そうしているうちに、何を目的に生きて――何を望んで生まれてきたのかも、わからなくなってしまう。だから、おじさんもきっと、自分が何を望んで生まれてきたのかを、忘れてしまっているだけなんだ」
 そう言われ、平林は何とも言えない複雑な表情をした。

 ああ、そうだ。この犬の言うことは、確かかもしれない――平林は思った。
 平林の記憶は、幼少期の頃に戻っていた。自然の中で、動物達や虫達と戯れて遊ぶのが大好きだった子供時代。綺麗な小川に足をつけては、冷たさを実感しながらはしゃぎ廻ったそんな時代。
 しかしいつしか、平林は優秀な兄と比べられるようになっていた。両親は、平林の顔を見るたびに「兄は優秀なのに」「お兄ちゃんは勉強が出来るのに」と言い続けた。もともと負けず嫌いだった平林は兄を追い越そうと必死に努力し、大好きな自然の遊びからも遠ざかっていってしまったのだ。
 そして、それだけでなく――自然を憎むようになった。自然を愛している実感を持ったままでは、過酷な競争社会を勝ち抜けなかったからだ。そして気がつけば、自然を前にしても何の感慨も抱かないようになっていた。気がつけば、自然の美しさに心動かすよりも、他人から評価されたりインセンティブを受けることだけを、求めるようになっていた――。

 思い出した瞬間。
 平林の瞳に涙が浮かんだ。顔をくしゃりと歪め、涙をポロポロと流す。
「――嘆くことはない」
 樹が優しく語りかけた。
「多くの人達が、君のように大事なものを見失って、彷徨っている。でも、だからといって誰が悪いわけでも、何が悪いわけでもない。だから、何も責める必要はないよ。何かを憎む必要もない。ただ、生きているだけで、それでいい――」

 平林は顔をあげた。
 それは、生まれて初めて聞いた、慰めの言葉だった。今まで「ただ生きているだけでいい」なんて、そんなふうに言われたことはなかった。常に「成功しろ」「もっと稼げ」「会社を大きくしろ」と、そう言われ続けていたのに。
 平林が抱えていた様々な傷が、じわりじわりと癒されていった。
 ――ところが。

「ちょっと! もっと、このおじさんのこと怒った方がいいわさ!」

 ピピンが叫んだ。
「どうして?」
「さっき、祖人達がこいつのこと言ってたわさ。こいつは自然を傷つけて、『しふく』を肥やしていたって!」
 ピピンは平林を指さし、じたばたと足を動かした。小さな動物の密告に、平林はしゅん、と項垂れる。
「怒る必要なんかないよ。彼は、ここに『還ってきてくれた』。私は、それだけで充分だ」
「何でだわさ! そんなの、あたい納得出来ないわさ!」
 ピピンが地団駄を踏んだ。その時。

「――僕には、わかる気がする」
 尚人が呟いた。
「僕らの魂がこの世界から生まれたのだとしたら、僕らはみな、この世界の『子供』なんだ。本当に愛情深い親であれば、どんなに子供が道を踏み外したとしても、それでも自分の元に帰ってきてくれれば、優しく抱き締めるだろう。行為を責めることなく、ただ優しく包みこむだろう――」

 尚人は、まるで噛みしめるようにしてそう呟いた。
 そう。自分も、未来にとってそんな親でありたい。
 自分が未来に出来ることは、未来の自由を約束し、そして、どんな時でも故郷として存在し続けること。
 ――親である僕に出来ることは、それだけで充分なんだ。
 尚人は、自分の迷いを吹っ切るようにして、そう思った。

 ふと、ソラが樹に歩み寄って言う。
「それなら、セレブレイトさんのことも許してあげて。彼、僕の親友なんだ。セレブレイトさんは猛霊の王となってしまったけど、それはセレブレイトさんが悪いんじゃない。彼はいっぱい傷つけられてきて――それで、猛霊となってしまっただけなんだ!」
「勿論、わかっているよ」
 樹は優しく告げた。
「それに、それはセレブレイトだけに言えることではない。猛霊となった者達、みなに言えることだ。私は最初から、猛霊達を罰しているつもりはないよ。いつだって、彼らを歓迎している」
「本当?」
 ソラがそう叫んだ瞬間。
 突如、世界がぐにゃりと歪んだ。
 今までにない不気味な気があたりに満ちてきて、ソラ達は瞬時に振り返った。

「も、猛霊だ!」

アークの叫びに、ピピンが「ひゃっ!」と悲鳴をあげる。
「ま、まずいじゃないのさ、猛霊がここに来ちゃったら! 猛霊に神様が呑み込まれたら、宇宙が滅んじゃうって――」
「大丈夫。滅びはしない」
 樹が優しく語りかける。
「彼らが、私達に――この世界に影響を及ぼすことはない。彼らはここにいて、かつ、ここにはいないのだから」
「どういう意味?」
「もとより次元が違うのだ。彼らの憎悪はあまりに重く、ここ、生命の源はとても軽い。だから、どう足掻いたところで、猛霊達はここにたどり着くことは出来ないのだ」
「じゃぁ、このまま放ったらかしにしていればいいの?」
「駄目だよ! そんなの駄目だ! 僕、セレブレイトさんを助けたいんだ!」
 ソラがかぶりを振った。
「だけど、どうすりゃいいのさ! ここにいたって、『重たい』猛霊達に何も働きかけ出来ないじゃんさ」
 反論され、答えの出ないソラは悩んで頭を抱え込んだ。

 ふと、その時だ。
 ソラの目の前に、突如光が訪れた。螢のように舞いながら、光が語りかける。
「ありがとう、ソラ」
「……あなたは」
 ソラは光を見つめた。
 そう、この声。以前に聞いたことがある。それは、この世界に来る旅立ちの日。「彼を助けて欲しい」と懇願してきた、光の声だ。

「あなたのおかげで、やっと『彼』に会えます。彼のこころを、救うことが出来ます」
「――『彼』って、もしかして……?」
 ソラの問いに、光は頷くようにして動いた。
「私が、あなた達を誘導します。ですが、猛霊の中に入るのはとても危険なことです」
「も、猛霊の中に入るってどういうことさ? あたい達、呑み込まれちゃうの?」
「いいえ。猛霊というのは、負の想念が生みだした『闇の世界』なのです」
「闇の、世界……」
「それは、『地獄』ってことかね?」
「そうですね。そういう言い方をすれば、そうなのかもしれません」
 尚人はふと思った。自分は科学を専攻し続け、最新の知識は大体知っているつもりでいたが――ここでは、そんな知識の及ばないことばかりだ。自分がいかに傲慢だったかを知らしめられた気さえする。

「ではみなさん。そろそろ行きましょう」
 光はそう言った途端、眩しく輝いた。ソラ達の体は金色の帯びに包まれ、フワリと浮かんだ。

「気をつけて行きなさい、我が子達。そして、孤独に苛まれた魂を、助けてあげておくれ」
 樹の声を最後に、ソラ達は急激な力でどこかに吸い寄せられていった。

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