27,孤独と哀しみの猛霊達

 負の想念には重みがある――尚人は、樹の言葉を思い返していた。
 物質の原理においても、それは同じことだ。軽いものは上へとのぼり、重いものは下へと落ちて、両者は互いに分離する。そして、それらはかき混ぜない限り、同じ空間の中で触れあうことさえない。
 しかし、その中間に位置する存在は、それらを往き来するようにして流動している。もっとも高次なものと、そうでないものというのは、その中間を介して「ひとつのものである」と、そう言えるのかもしれない。

 猛霊達の世界は、生命の故郷とは正反対だった。暗く淀んだ闇の世界で、乾いた砂漠と燃え広がる炎の国である。それは見るからに、幼い頃何度も聞かされた地獄の世界にそっくりだと、尚人はそんなふうに思った。

「こ、これが猛霊の中なの?」
 ソラが辺りを見回して言った。光は頷くように動いた。
「先程、貴方達のいた世界が『神の中にある世界』だとしたら、まさしくここは『猛霊の中の世界』です」
「こんなところに、セレブレイトさんがいるの?」
「ええ、います。彼はいまや、猛霊を統べる王となってしまっているのだから――」
 そう語る光の声は、どことなく淋しそうだった。
「セ、セレブレイトと闘うなんて、そんなのあたい嫌だわさ!」
「大丈夫。闘うようなことにはなりません。そんなこと、『私が絶対にさせません』」
 光は力強く、そう断言した。まるで、「そうならない確信」があるかのように……。
「とにかく、みんな行こう」
 ソラの呼びかけに、光に導かれながらみなは歩き出した。

 一歩一歩、足を踏み出すごとに体が重くなるような気がした。どうにもならない息苦しさを感じ、足取りも覚束なくなる。
 あちこちに、亡霊のような影がさまよっていた。あれはきっと、猛霊達の分身だ。神の世界における花や草達が神の分身ならば、あの影が猛霊の分身のはずである。
「一体、どこへ行けばセレブレイトに会えるの?」
 ピピンが耐えられず尋ねた。
「もう、これ以上歩けないよう……」
 情けない声を出して、アークも蹲る。
 この世界は、空気も非常に重かった。いつもの数倍体重が重くなったかのような、そんな圧迫感がある。小さなソラ達が自由に動けなくなっても、不思議はなかった。
 大地にへばりついて息絶え絶えのソラを、尚人が抱き上げた。左手にソラを、右手にはクックを抱き上げる。
「あらやだ。何だか照れちゃうねぇ」
 クックは頬を染めて言った。
「平林さん。ピピンとアークを、連れて行ってもらえませんか?」
 その言葉に、自分も疲労を感じていた平林は見るからに表情を崩した。しかし、さらに露骨に表情を崩したのはピピンだ。
「や、やあよう、こんなおじさんに抱っこされるなんて! あたい、ソラのパパに抱っこされたい!」
「だけど――ピピンは、クックやソラより軽いでしょ?」
 苦笑しながら尚人が言う。平林の負担を出来るだけ軽くさせる為の配慮であることに気付き、ピピンは渋々了承した。
「わぁったわよ! ――ホラ、おじさん。あたいのこと抱っこしていいわさ。変なとこ触ったりしたら、思い切り噛みつくからね」
 ふくれっ面のピピンを、平林は抱き上げた。
「ひゃぁ――楽ちん、楽ちん」
 アークが呑気な声をあげる。
 尚人と平林に運ばれるような状態で、四匹は先に進んだ。
 しかし、どんなに歩いてもいっこうにセレブレイトに会えない。重い空気と異常な熱気で、次第に尚人と平林の体力も落ちてきた。平林は「ぜぇぜぇ」言いながら歩いていたが、やがて地面にピピンとアークを下ろした。

「も、もう駄目だぁ! これ以上、私、歩けない――」
 しかし、尚人の体力も限界に来ていた。突如、その場で膝を落とす。
「パパ!」
「だ、大丈夫。――ごめん、びっくりしたよね?」
「僕は大丈夫だよ。僕たち、自分の力で歩くから、もう下ろして」
 ふと、そんなやりとりを見ていて光が降りてきた。光は二つに分裂すると、こう告げる。
「しばらくの間、私の力をお貸しします。力を分けると道案内することは出来ませんが、少しは体力の足しになるでしょう」
 そう言って、尚人と平林の胸に溶け込んだ。ほのかに心臓のあたりが温かくなり、力が増した気がする。
「――大丈夫。行けそうだ」
 そう言うと、尚人はソラとクックを再び抱きかかえた。「平林さんは、どうです?」と言って、背後を振り返る。すると、元気そうな平林が両手をあげてピピンとアークを持ち上げていた。
「見ろ! このとおりだ!」
 そう言って、力自慢をする。平林の無邪気さに、尚人は小さく吹き出して笑った。

 それからしばらくの間。
 尚人と平林に連れられたソラ達は、道を進み続けた。
 すると、砂漠と断崖に囲まれていた場所が突然開け、中央に大きな岩山が姿を現した。真っ黒なそれは、どことなく猫のような姿をしている。
「これが、中心か?」
 尚人が呟いた。

 ソラは確信した。
 この中にセレブレイトがいる!
 セレブレイトの気配を、この場所から感じる。
 ソラは尚人から飛び降りて、勢いよく走り出した。
「ソラ! 危ない、戻っておいで!」
 ソラの後を、尚人も追った。しかし、ソラは足を止めようとしなかった。
 ソラはひたすら走った。
 セレブレイトを助けたい一心で、セレブレイトをもとの姿に戻したい一心で、走り続けた。

「セレブレイトさん!」

 全身に祈りを込めて叫ぶ。 

「セレブレイトさん! セレブレイトさん、お願い出てきて! 僕だよ、ソラだよ! セレブレイトさんを、助けに来たんだ!」

 その時だった。
 地の底から響くような「ぐみゃぁ――」という鳴き声と共に、世界が大きく歪んだ。
 中心にある岩山から、とてつもなく邪悪な気が滲み出る。
 ソラは、その場で足を止めた。
 岩山から滲み出た闇の中央に、大きな黄金色の眼が現れた。

 その眼から、かつてのセレブレイトの面影は感じられなかった。
 残虐で冷酷な、猛霊の王。
 しかし、そうなる前のセレブレイトは、クールな反面思いやりもあり、繊細なこころを持った猫だった。白い猫ユキを心から愛し、ユキを失った悲しみに囚われ、その絶望感がセレブレイトの魂までをもズタズタに引き裂いたのだ。
 しかし、ソラが知っているセレブレイトは「どこにもいない」。
 今、ソラの目の前にいる猛霊の王は、セレブレイトを呑み込んだ「憎悪そのもの」だった。


 ――何シニ来タ。貴様ラニ、モウ用ハナイ。


 幾度となく耳にした闇の声だ。猛霊の王から闇の王となった、セレブレイトの声――。
「僕、セレブレイトさんを助けに来たんだ!」


 ――助ケニ、ダト? ……馬鹿ガ。大人シク逃ゲテイレバ、命ダケハ助ケタモノヲ。


 その瞬間。
 大地が大きく揺れ、まるでソラ達を呑み込むようにして立ちはだかった。


 ――我ト一体トナリ、闇トナレ。貴様ラガ救オウトシタ人間ノ世界ガ滅ビ行ク様ヲ、見ルガイイ。


 闇の王が叫ぶ。
 それを皮切りに、多くの猛霊達が一斉にソラを襲った。
 その瞬間。ソラを庇うようにして、尚人が飛び出した。銃弾のようになってソラに飛びかかる闇を避け、ソラを守ろうとする。
「危ない!」
 ソラを抱え、闇の手からソラを引き離した。しかし、闇の手は代わりに尚人を掴んだ。闇に引き込むようにして、尚人を呑み込む。

「パパ!」

 闇は、幾重にも尚人を包みこんだ。どんなに藻掻いても、闇から解放されることはない。
「パパ!」
 どうにも出来ない悲痛な叫びが、あたりに響いた。尚人は、意識が遠ざかる中でソラに告げる。
「逃げろ、ソラ……」
 そう言い残して、闇に呑み込まれた。
「パパァ!」
 ソラが駆け寄ろうとした、その時。

 猛然と、闇に立ち向かっていく存在がいた。「おうりゃぁ――!」と凄まじいかけ声をあげ、闇となった猛霊をちぎっては投げ、ちぎっては投げる。
「お、おじさん!」
 唖然とするソラの前で、平林は尚人を救おうと必死だった。闇を掻き分け、尚人を見つけると引きずり出そうとする。

「あんたを死なせるもんか! あんたは、何度もこんな私を助けてくれた。絶対に、死なせるもんか!」

 繰り返しながら叫ぶ平林の目に、涙が浮かんだ。闇を払いながら、尚人を助けだそうと足掻き続ける。しかし、ここは猛霊の世界だ。次から次へと襲いかかる猛霊達を前に、平林の力も尽きようとしていた。
 そんな二人を見て、闇に光る眼が高らかに笑った。


 ――愚カナ人間メ。二人揃ッテ、我ガ一部トナルガイイ。


「お願い、セレブレイトさん! やめて!」
 ソラが泣き叫んだ――その時。

 平林と尚人の体が、金色の光に包まれた。
 先程、二人の体に入った光の珠が、二人を救おうとしているかのように輝いているのだ。
 途端に闇が引いていく。闇から解放された尚人と平林の体は、ますます輝きを増した。そして突然、光の粒子となって消えていった。

「パパ! おじさん!」
「――大丈夫。二人は、人間界へ戻しました」

 見ると、そこには先程よりも大きくなった光の珠があった。光はますます膨らんでいき、やがて、黄金の眼に対峙出来るぐらいの大きさとなった。
 しかし、それに驚いていたのはソラだけではない。闇に光る黄金の眼も、何故か愕然としていたのだ。


 ――オ前ハ……マサカ!


 その時。
 光の中に、姿が浮かんだ。

 それは、白くて美しい姿をした猫だった。

 ソラは、その猫を「前から知っていた」ように思った。とても懐かしく、愛しささえも感じた。しかし、それはソラだけのことではなかったようだ。黄金に輝く目は大きく見開かれ、光の中にいる猫を凝視していた。


 ――ユキ!


 光の中にいたのは、セレブレイトが愛した猫、ユキだった。
 壮絶な死を遂げたとは思えない程、ユキの姿は美しく、その上、どこか神秘的だった。まるで女神か天使が降り立ったかのような雰囲気だ。光に包まれたユキは、徐にこう告げた。

「ずっと、あなたを探していました。猛霊達の元にあなたがいるとわかっていても、あなたのそばへ行くことが出来なかった。ここへ来るには、彼らの力を借りる以外、なかったのです」

 そう言って、光の中でユキは背後に目を向けた。視線の先には、呆然と佇むソラ、ピピン、アーク、クックの姿がある。
「――どうして? どうして、ユキさんがセレブレイトさんと会う為に、僕達の力を必要としたの?」
「私はすでに、魂だけの存在です。しかし、私の中に負の想念がなかったが為に、闇の世界に近づくことが出来なかったのです。だから、光と闇の中間にいる、生きているあなた方の手助けが必要だったのです」
「でも、何であたい達なの?」
「それは――あなた方が、私とセレブレイトの間に出来た子供達の……私達の間に誕生するはずだった子供達の、『生まれ変わり』だから」

 ソラもピピンもアークもクックも、みな一斉に驚きの声をあげた。

「あ、あたい達、みんな兄弟で生まれるはずだったの!」
「そうです。あなた達はみんな、私とセレブレイトの愛しい子ども達なのです」
 四匹は、みな愕然として顔を見合わせる。
 しかし、驚いているのは四匹だけではなかった。猛霊の王と化したセレブレイトもまた、衝撃を受けていたのだ。明らかに、猛霊の中の空気が変わった。闇が緩くなる瞬間を、ソラは感じとった。


――俺達の……子供?


 闇の王は、僅かにセレブレイトの面影を取り戻した。
「そうよ。私も、お腹にいたこの子達も、あの雨の晩に命を落とした。でも、私は人間を恨んでなどいない。憎んで死んだわけでは、決してないの。私を捨てた飼い主の人も、生きている人達みんなも、私は憎んでなどいなかった」


 ――何故だ。あれほど、酷い目に遭ったというのに。


「確かにね。酷い目や、哀しい目にたくさんあった。だけど、それ以上に私は多くの幸福を得ることが出来たからよ。だって――何よりも、セレブレイト。あなたに、会うことが出来たから。あなたと、幸福な日々を過ごすことが出来たから……」

 ユキの呼びかけは、闇の王の中に何かを育んだ。ずっと忘れていた大切なもの――慈愛、思い遣り、平穏などが、再び芽生えようとしている。

 そう、あの頃。
 ユキと二匹で生きていたあの頃。世界のすべては、希望に満ちていた。
 澄んだ青空に、優しく降り注ぐ太陽。笑顔で行き交う人間達を見て、愛しいとさえ感じた。
 野に咲く花の愛らしさや、宙を舞う蝶達。
 世界に満ちているすべてが、愛に包まれている――そう実感出来た。
 セレブレイトの幸福は、ユキを失ったと同時に消え失せたけれども――確かにかつて、セレブレイトも愛に包まれていたのだ。ずっと昔に置き忘れてしまった大切なものたちが、心の中で、少しずつ蘇ってきた。

「私がここに来たのは、それを伝える為。猛霊を統べる王となってしまったあなたの心を、少しでも癒したかったから――」
 その言葉と同時に、光はますます膨らんでいった。
 ユキの照らす光に対して、闇は次第に引いていく。
 猛霊達の叫びや唸り声が、辺りに響いた。

「……一体、どうする気なんだろう」
「浄化する気なんだよ。猛霊の世界ごと、セレブレイトを――」
「そんな! そうなったら、セレブレイトはどうなっちゃうのさ!」
 ピピンの叫びに、クックは手羽先を組んで目を伏せる。
「そんなの、あたしにもわからないけど――たぶん、消えちゃうんじゃぁ……」
 ソラは耐えられずに走り出した。
「ソラ!」
「駄目だよ、あんたも巻き込まれるよ!」
 しかし、一向に足を止めない。

 ソラにはわかったのだ。
 母であるユキは、自分の魂と引き替えに、セレブレイトを浄化しようとしているということを。

「お母さん、駄目だ!」

 ソラの叫びに気付き、ユキはゆっくり背後を振り返った。その間も、光は膨張していく。
 ユキはにっこり微笑んだ。
「心配しないで。私は、どこにでもいるの。あなたの心の中にも、そして、世界の光の射す場所、すべてに」
「そんなの嫌だ! お母さん、消えないで! セレブレイトさんを消さないで!」
 ソラの叫びに、少しユキは哀しそうな顔をした。
「消えるのは、私の形だけよ。セレブレイトも同じ。またすぐに会えるわ」
 その言葉を最期に、光はユキの姿さえ映せない程大きく膨らんだ。
「お母さん!」


 その瞬間。
 光は、閃光のように世界中を駆けめぐった。
 あちこちに聞こえる猛霊達の叫び声は、多くの哀しみを映しだした。
戦争、殺人――そして絶望。
 あらゆる哀しい出来事の中で、猛霊達は猛霊として誕生したのだ。
 
「理由のない悲劇など、ありえない――」
 知恵蔵の言った言葉が、ソラの中で蘇った。

 突然。
 走り続けるソラは、深海砂漠にたどり着いていた。
 何が起きたのかわからない。ユキの姿はどこにもなく、また、仲間達の姿もない。

「みんな。みんな、どこへ行ったの?」

 呼びかけても、返事はなかった。
 ふと見上げると、空には美しい夕焼けが広がっていた。あかね色に染まる空は、生命の源で見た空と同じように素晴らしかった。そして、紫と真っ赤に染まる天空を、まるで流星群のようにたくさんの光が流れていった。

「きれい――」

 ソラが思わず呟いた──その時。
「……猛霊達だ。猛霊の魂が、神の愛に癒され光と化し、流星となって地球に降り注いでいる」

 その言葉に、ソラは振り返った。
 視線の先には、セレブレイトが立っていた。静かな瞳で、夕焼けを見上げている。
「セレブレイトさん! ……よかった、無事だったんだね!」
 嬉しそうに叫んで、セレブレイトの元へ駆け寄る。
 セレブレイトは小さく笑った。その笑顔は、今まで見た中で、もっとも優しい微笑みだった。

「……こうなることは、どこかでわかっていた」

 セレブレイトは小さく呟いた。
「お前と出会った時、お前達と行動を共にすることで、俺が消滅することになるだろうことを、すでにわかっていた。――だからこそ俺は、お前達と共に旅を続けてきたんだ」
「な、何を言ってるの!」
 ソラは激しくかぶりを振った。
「セレブレイトさんは消えたりしないよ! だって、お母さんに癒されたんだもの」
「癒しが利かない程、俺の魂には闇が巣くっていた……」
 セレブレイトは目を伏せた。

 ふと、ソラはセレブレイトの体が少しずつ砂と化しているのに気がついた。深海砂漠を包む白い地面につけている足の部分から、じわじわと砂になっていく。
「セ……セレブレイトさん、足が……足が砂に――」
「俺は、この砂漠と同化する。光になれなかった俺は、永遠にこの世界に閉じこめられるんだ」
「そ、そんなの駄目だよ!」
「お前に最期、こうして会うことが出来て――本当によかった」
 そう語るセレブレイトの体は、すでに首のあたりまで砂と化していた。
 ソラは絶叫した。
「いやだ! 嫌だ、セレブレイトさん! 消えないで!」
「――ありがとう、ソラ。いつかまた、お前に会いたい……」
 ソラがしがみついた瞬間。
 砂と化したセレブレイトは、細かな粒子となってそよ風に溶けていった。
 ソラの前に、セレブレイトはもういない。かつてセレブレイトだった砂だけが、サラサラと音をたてて空気に溶けていった。

「……嘘だ」

 ソラはかぶりを振った。涙が込み上げてきて止まらない。
「嘘だ、……嘘だ嘘だ。こんなの嘘だ!」

 何故、セレブレイトが砂になって消えなければならなかったのか。
 孤独に苦しみ、追い詰められ、愛しいものを失った哀しみから、猛霊の王となってしまっただけなのに――そう思った瞬間、ソラの中で哀しみが爆発した。

「お父さ──ん!」

 一度も呼べなかった父という名を、砂となったセレブレイトが溶けた風に向かって叫んだ。ソラの悲痛な叫び声だけが、あかね色に染まる夕焼けの中で響いていた。

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