第28章 もとの世界へ
 光の粉となって散った猛霊達の「こころ」は、気がつけば辺り一面を光の園に変えていた。
 それは次第に世界を包み、突如爆発したように膨らんだかと思うと――次の瞬間には、生命の源である優しい光景へとすり替わっていた。
 目の前に生命の源――大きな樹が佇んでいる。

「おかえり、子ども達」
 穏やかな声が、四匹を包み込んだ。
「闇に囚われた魂たちを解放してくれて、どうもありがとう。そして、苦しみ抜いたセレブレイトの魂を救ってくれて、本当にありがとう……」

 樹は優しく告げた。
 しかし、ソラは大粒の涙を零したまま、何度もしゃくりあげている。他の仲間達も項垂れて、まるで元気がなかった。
「どうしたのだ、みんな。何で、そんなに哀しそうな顔をしている?」
「だって……お父さん、消えちゃった──」

 そう言った途端、ソラは我慢が限界を超えて「わぁぁぁぁん」と大声をあげて泣いた。
 同時に、仲間達も声をあげて泣く。おいおいと泣き続けるソラ達を慰めるようにして、鹿やリス、蝶や小鳥が近づいてきた。生命の源に見守られながらも、ソラ達は大声で泣き続けた。


「――大丈夫、心配しないで。セレブレイトは、消えてなどいないよ」


 樹の声に、ソラは顔をあげた。
「本当?」
「猫としての個体は消えたけれど、『新たな生命として生まれ変わった』のだ」
「それって、セレブレイトじゃないじゃんさ。そんなんじゃ、意味ないわさ」
「意味ないことなどない。魂の奥底で、この旅のことも、そして、君達のことも覚えている」
「じゃぁ……いつかまた、お父さんや……お母さんにも会えるの?」
 真っ赤な目をしたまま、ソラが樹に尋ねた。
「ああ、勿論。必ず会えるとも。でも、それより何より、君達はまず飼い主に会いたいんじゃないのかい?」
 樹の問いに、四匹は「うん、会いたい!」と頷いた。

「君達は、今から元の世界へと戻る。ただし、ここで見たもの、経験したすべてを、君達は忘れなければならないんだ。そして、肉体である種に相応しい知識しか発揮できないようになる。それでも、帰りたいかい?」

 その言葉には、一瞬みなが躊躇った。
「ということは――この旅のことも、みんなのことも、お父さんのこともお母さんのことも、そしてこの世界のことも、すべてを忘れなくちゃいけないってこと?」
「そうだよ。ただし、先程も言ったように、それは肉体の世界で生きている間のことだけだ。人間界でいう死を迎え、魂となった時には――すべてを思い出すことが出来る」

 四匹はみな、顔を見合わせた。しばらく悩み倦ねたが、ややもしてピピンが声をあげた。
「それならあたい、元の世界へ戻るわ。スカーレットさんに会いたいから……」
「そうか、わかった。君達はどうする?」
「――僕も帰るよ。ピピンがいなくなっちゃったら、淋しいもん」
「あたしも帰るよ。何だか、元の世界が恋しくなっちゃったからね」

 ソラの答える番になった。
 しかし、ソラはなかなか答えを出すことが出来ない。
 未来やパパにはとても会いたいけれど――消えたセレブレイトや、ユキのことを忘れてしまうのは、とても辛かったからだ。
「――君はどうする、ソラ」
「僕は……」
 答えを躊躇った。
 だが、さんざん迷った末、こう告げる。
「――僕も、帰ります」
「そうか。では、みんな元気でね」
 樹の声と同時に。
 ソラ達を包む空気が、次第に透明になっていった。樹や花畑、手を振るリスや鹿達が、どんどん遠ざかっていった。

「みんな、元気で! また会おう!」
 樹の呼びかけを聞きながら、ソラ達の姿は光となり、元の世界へと還っていった。

* * *


 父、尚人の無事が伝えられたのは、未来が自宅に戻ってすぐのことだった。
 公園の池で不思議な光景を見て、勇気をもらった未来が家に帰ると、どうしたことか家の中が騒然としていたのだ。
 未来の帰宅に気付くや否や、祥子が未来に駆け寄ってこう叫んだ。

「未来ちゃん、パパ無事だって! さっき病院に運ばれて、命に別状はないって!」

 泣きながら叫ぶと、未来を力強く抱き締めた。
 未来は、ただただ呆然としていた。耳の奥がツーンとして、何だかよくわからない。しばらくしてからやっと、途方もない安堵感が広がっていくのを実感した。

 ――よかった、パパ。本当によかった。

 何度も心の中で呟いた。
 ふと、その時だ。

「おい、外を見ろ! 何だ、あれは」

 祖父の声で、未来は顔をあげた。喜びに浸っている中愕然としている祖父を前に、未来と祥子は顔を見合わせる。
「……どうしたの」
 窓の前に立ち、乗り出すように外を見る隆人の脇から君子も外を見た。
 その瞬間。
「こ、これは一体!」
 君子も声をあげた。すぐさま未来と祥子も駆け寄る。カーテンを大きく開き、窓の外に顔を出したその瞬間――。
 ――絶句した。
 そこには、想像を絶するような光景が、広がっていたからだ。

 星さえ数少なくなってしまった都会の夜空を、無数の流星群が過ぎっていたのだ。
 それも、半端な数ではない。闇に包まれた景色が、明るく輝く程である。
 その上、星々はまるで地上に降り注ぐようにして落ちてきたのだ。辺りを包む光の粉に、未来は声を漏らした。
「……綺麗」
 それはまるで、光が結晶となって落ちて来たかのようだった。

 ――何故だろう。見ているだけで、涙が出てくる。何故か、優しい気持ちになる。

 キラキラと舞い落ちる光の粉が、静かに景色を包みこんでいく。
 未来は、窓から手を差しだした。小さな掌の上に、光の粉が舞い落ちる。
 その瞬間。
 せつなく、それでいて愛おしい気持ちになった。

 ――これらは、とても哀しい心の結晶なんだ。
 哀しみの中で傷ついた心が、優しさによって洗われて──そして、光の粉になったんだ……。
 瞬間的に、未来はそう思った。

「……何だろうな」
 隆人が呟いた。
「理由はわからないけど……とても温かな気持ちになる。忘れかけていた何かを、思い出しそうになるよ」
「――そうね」
 君子は、絞り出すようにして言った。
 君子の脳裏にあったのは、愛情に恵まれなかった哀しい子ども時代のことだった。ひとりっ子だった君子は、本来両親の愛情を一身に受けとめることが出来たはずなのに、そうではなかった。
 もともとヒステリックな母親に日々怒鳴られていた君子だったが、父親が浮気して恋人に子どもが出来、母親と君子の元を去ってその人のところに行ってしまってからは、母親は八つ当たりするかのように君子に辛くあたったのだった。
 母親から暴力を受けた後、いつも決まってこう言われていた。

「何だい、可愛げのない子だね! 無愛想で、頭も悪くて……何の取り柄もありゃしない! あんたがそんなだから、お父さんは出ていっちまったんだよ! もっと素直で可愛い子を産めばよかった! あんたなんか、産むんじゃなかった!」

 そんな言葉の数々が、子ども時代の君子の心を削っていき──やがて、君子は優しさや愛情を否定するようになった。優秀であれば、いい就職先につけば、誰もが認めてくれる──そう信じていた。

 しかし、そんなふうに頑なになっていた心が、今、目の前に降り注ぐ光の粉で癒されたようにも思えた。ひとりよがりで、決していい妻とは言えなかった自分を、夫の隆人は寛大に受け入れてくれた。息子の尚人そして娘の祥子も、自分の枯渇した心を受け継がず、優しい大人へと成長してくれた。
 それなのに、自分は──。
 自分は、一体何をしていたのか。
 まだ9歳の子どもを相手に、何て嫌な態度を取ってしまったのか……。

 君子はしばらく迷うように視線を動かしながら唇を噛みしめると、躊躇いながらもそっと手を差し伸べる。
 その先には、未来の小さな肩があった。
 肩に温もりを感じ、未来は驚いて顔をあげる。目の前には少し強ばった表情で――それでいて、僅かばかり目を潤ませている祖母、君子の姿があった。
 これがおそらく、君子にとって精一杯の表現なのだろう。今まで拒み続けてきた未来に対する謝罪と、そして、芽生えた愛情――。

 未来はにっこりと微笑み、何も言わなかった。
 「これで充分」と、そう思った。
 これだけでいい――。
 慌てる必要なんかない。いつだって、人はやり直すことが出来る。どんなに深い溝だって、歩み寄る意志さえあれば、埋めることが出来る――。

「綺麗だね」

 未来は微笑んで、君子にそう語りかけた。君子は聞き取れない程小さな声で、「……そうだね」と言った。しかしその声色は、今までのような冷淡なものではなく、優しさと恥じらいを含んだものだった。


 次の日の早朝。
 未来は祥子に連れられ、尚人のいる病院へと向かった。
 台風も遠ざかり、穏やかな秋晴れの中、フェリーで島へと渡る。タクシーを使って病院に着いた時は、すでに午後を廻っていた。
 病室に向かうと、パパは眠っていた。窓から射し込む午後の光を受けて、穏やかな表情で目蓋を閉じている。頭や腕に包帯を巻かれているが、思った以上に元気そうな様子を見て、未来は心から安堵した。

「……パパ」

 呼びかけて、ベッドの脇に座り込む。布団に顔を埋めると、声を殺して泣いた。
 ふと。誰かが、頭を優しく撫でているのに気がついた。
 顔をあげると、微笑んで自分を見つめるパパがいた。
「パパ……」
 何故か、そこから先が言葉にならない。嬉しすぎて、何も思い浮かばない。 

「――心配させて、ごめんね」

 そう言って、パパは微笑んだ。
 未来の顔がくしゃりと歪んだ。勢いよくパパに抱きつく。肩に顔を埋め泣きじゃくる未来を、パパは優しく抱き締めた。
 祥子も、今まで堪えていた涙がいっきに吹きだした。ハンカチを目にあて、すすり泣く。
「祥子。お前にも、いろいろと迷惑をかけてすまなかったね」
「――すまないだなんて……。それよりも、お兄ちゃんが無事で、本当によかった」
「意識を失っている間、何だか不思議な世界を旅していたような気がする。だけど、残念なことによく覚えていないんだ」
「不思議な世界?」
「ああ。そこには、ソラもいたような気がするんだけど――」
「ソラが?」

 素っ頓狂な声をあげた未来の背後で、突如声が響いた。
「その夢、私も見ていたよ! 犬とウサギと、あとイタチとニワトリもいたな! まるまると太ったおデブなニワトリで、エプロンをつけていたっけ」

 振り返ると、そこには寝間着姿の平林が立っていた。どうやら、平林の方が傷は軽かったようだ。頭部に包帯を巻き、松葉杖姿で病室に入ってくる。
「――だけど、私も残念なことに、そこまでしか覚えていないんだ」
「僕もですよ。でも、すごくいい夢だった気がする――」

 そう言って、互いに笑い合った。
 ふと、再び病室の扉が開いた。振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべて立つ水島の姿がある。平林が尚人の病室にいる姿を見て、怪訝そうに顔を歪めた。
「あれ? ……何だかなぁ、突然二人して親しくなっちゃて。一体、濁流に呑み込まれている間、何があったんですか?」
 水島は、尚人と平林を交互に見つめて言った。
「――なぁに。命の恩人だからなぁ、先生は」
 平林が笑って言った。水島は不服そうな表情だ。
「それを言うなら俺だってそうですよ。二人が川に落ちた後、ホント、俺大変だったんですからね!」
「――その節は、本当にどうもお世話になりまして……」
 祥子が仰々しく頭を下げた。慌てて水島は撤回する。
「あ、いえ! す、すみません、二人を皮肉ったつもりで言っただけで――そんなつもりじゃぁ……」
 水島は頭を掻いて必死に弁解した。
 そんな水島の様子に、尚人も平林も、みなが一斉に笑った。

 ――ふと。
「未来」
 尚人の呼びかけに、未来は顔をあげる。
「僕の退院なんだけど、後一ヶ月はかかりそうなんだ。それまで、おばあちゃんの家で暮らしていられるかい?」
 事情を知っている尚人は、どこか申し訳なさそうに尋ねた。
 しかし、未来の反応はまるで予想もしないものだった。

「うん、パパ! 私、『おばあちゃん』と一緒にいい子で待ってるよ!」

 予想外な反応に、しばらくの間尚人も祥子も口をぽかんと開けていた。
「未来……。おばあちゃんのこと、苦手だったんじゃなかったの?」
「前はね。でも、今はすっごく仲良しなんだよ! 今度、遊園地連れて行ってくれる約束もしたんだ!」
 尚人は一瞬驚愕の表情だったが、それはすぐさま笑顔に変わり、嬉しそうに祥子を見上げた。
「一体、どんな魔法を使ったんだ!」
 兄の冗談に、祥子も笑って答えた。
「私じゃないわ! ……『光』よ。降り注いだ光の粉が、すべてを変えたの」
「──光?」

 そのニュースを、尚人と平林は新聞とテレビでも見ていた。昨晩、突然流星群が降り注いだかと思うと、地上にまばゆい光の粉が落ちてきた──と。
 光の粉はしばらく雪のように残っていたが、やがて痕跡を残すことなく消えてしまったそうだ。
 この現象は世界各地で目撃されており、科学者たちは必死になってその光の正体を明かそうとしたが、それは出来なかったのだとか。
 また、光の粉が紛争地域に降り注いだ後、敵・味方問わず兵士達が「闘いを放棄する」とみな武器を捨ててしまったという報道もあった。

「なんだぁ、見たかったなぁ……。その光の粉」
 平林は残念そうに言った。今までの平林なら、「それをお金や商売に還元できるのではないか」と考えたが、今の平林にはそんな考えが微塵にも浮かばなかった。
「でも、気のせいかな。僕は、その『光の正体』が分かる気がする。僕たちは夢の中で、その光と会ってるのかもしれないね」
 尚人の言葉に、平林は大きく頷いた。
「そうなんだよ! 私もそう思う」
 そう言って、二人はまた笑った。
「何だよ、二人して! 気持ち悪いナァ。俺達は仲間はずれもいいところだよ! ねぇ、未来ちゃん!」
 水島が未来に同意を求めた。未来がそれを見て笑うと、その場にいた全員も声をあげて笑った。

* * *


 パパの病院の近くに一泊した翌日、未来と祥子は東京に戻ってきた。しばらく尚人の実家で暮らす未来だったが、家にある忘れ物を取りにいったん寄りたいと言い、祥子が買い物している間ひとりで自宅へと戻った。
 五日ぶりに帰宅した我が家の扉を開け、未来は中へと足を踏み入れた。
「ただいまぁ!」
 返事が返らないのを知っていながら、大声で言う。
 しかし、不思議と淋しくはない。未来は小さく笑った。
 ――私、いつのまにかどんどん成長してる気がする。
 それは、未来にとって嬉しいことでもあった。あの「光の粉」が降り注いで以来、自分が大きく変われた気がしていたのだった。
 未来が靴を脱ぎ、家の中にあがろうとした――その時だ。


「ワン!」


 声がした。
 未来は一瞬凝固した。しかし、すぐに空耳だと気付く。隣りの犬の声を勘違いしただけだ、と。

「ワン、ワン!」

 今度は二回繰り返された。
 空耳なんかじゃない――。

 未来は手にしていた荷物をその場に放り投げると、声のする方へ走っていった。扉を開けるなり、声の主を捜す。

 すると、どうしたことか。
 応接間のソファー横で、ソラが立っているではないか。
 舌をだし、尻尾をパタパタ振りながら、大きな黒い瞳で未来を見つめている。

「ソラ……? ソラなの?」
 ソラはまるで頷くようにして「ワン」と吠えた。
 未来の瞳に、いっぺんに涙が浮かんでくる。

「ソラぁ!」

 未来はソラに駆け寄って、力強く抱き締めた。ほのかに、ソラから暖かな陽射しと草の香りを感じ取った。
「一体、今までどこへ行ってたの? ずっとずっと探したんだよ」
 そう言って、声をあげて泣き出した。
 思えば不思議なものである。この家から忽然と姿を消したソラが、これもまた鍵が掛かった家の中で見つかるなんて。

 ――そう言えば、パパが妙なことを言っていたっけ。ソラと、不思議な世界を旅していたとか……。

 いや、細かいことなどどうでもいい。とにかく、ソラが帰って来てくれたことだけが、未来には嬉しくてたまらなかった。
 ソラを抱き締めたまま、いつまでもいつまでも泣き続けた。

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